つと場末臭い町並みであつた。その一等端は桑畑になつて、そこいらまではどこか町中の通りらしく平坦な道路は、急に幅も狭《せ》ばまり、石ころが路面に露《あら》はれてゐた。もう家はないと思はれる桑畑の先きに一軒の駄菓子屋があつて、その隣りには一寸した空地をへだててこのあたりには不似合なほどの大きな塀をめぐちした家があつた。それは河原町の旧家に多い築地塀を真似たものだつたが、様式は京都や大阪にありさうな塗壁の塀であつた。その家はびつくりさせるやうな大きさにもかゝはらず、昔風な家ばかりを見慣れた房一にはつい一月前に建てたやうに見えた。だが、もう四五年は経つてゐるのである。紺屋といふ屋号で知られてゐるこの家は河原町では一番新しい地主だつた。又、恐らく一番の物持ちだらうと云はれた。その真新しい家の印象とは反対に主人の堂本は恐しく引込思案の男だつた。彼はその財力には珍しくどんな町内の出来事にも関係するのを避けてゐた。それどころか、彼は何もしなかつた。たゞ夏近くなると始まる鮎釣りの季節にだけ、堂本は仕事着めいたシャツに古股引、大きい麦藁笠といつた姿で川岸に現はれるのだつたが、それさへなるべく人目にかゝりさうな場所をはなれて、上の方から釣手が下つて来るとだんだん下流の方へ、時には一里位下に遠ざかつてしまふのであつた。さういふ堂本にしてみれば、住居を新築したことだけが唯一の人目につく仕事だつたらう。それも、入口に立つてみると、ひどく用心堅固な感じの、こんなに周囲が畑ばかりで覗きこむ人だつてある筈がないのに、絶えず閉め切つた太格子の二枚戸が見えるだけで、内側の様子は皆目判らないやうに出来てゐた。
房一はその玄関土間に足を踏み入れて、
「ごめん下さい」
と、声をかけたが、返事がなかつた。間を置いて、今度は高い声を出すと、しばらくたつて、横手の襖《ふすま》が殆ど音を立てない位にそつと開いて、半白の頭を円坊主にした、痩せて黄ばんだ皮膚の五十がらみの男が、きよろりと驚いた眼をして、口を半ば開けたまゝのぞくやうに現はれて来た。
それが堂本だつた。
「えゝ、このたびこちらへ戻りまして、仲通りに開業しました高間房一ですが、つきましては一寸御挨拶に――」
房一はすかさずさう口にすると、低く鹿爪《しかつめ》らしいお辞儀をした。どうも、これでは少し固苦しいかな、と自分の声を自分で聞きながら。彼はいくらか汗ばんでゐるやうな気がした。慌《あわ》てないで、さう自分に云つた。
だが、房一よりも堂本の方がもつと慌ててゐた。彼はいきなりそこに痩せた身体をしやちこ張らせてかしこまると、
「へえ、いえ」
と、何か文句にならないことを口の中で云つて、もう一度低いお辞儀をかへした。
その様子が房一に余裕を持たせた。彼は東京の代診時代に覚えた世間慣れた快げな微笑を浮かべることさへできた。
「お忘れかもしれませんが、高間道平の息子でございます。――今度、医者としてこの町へ戻りました者で――」
「へえ、――どうもごていねいなことで――」
まだぎこちなく坐つて伏目に固くなつてゐる堂本の様子から、自分が誰かといふことは判つてはゐるのだなと思つた房一は、
「や、それでは――」
と手早く切り上げて、堂本の家を出た。
そこから元来た路を引き返した房一は、行きがけには通りすぎた千光寺の山門を潜つた。広い人気のない寺庭には九月の日が明く冴えて、横手の庫裡《くり》に近い物干竿では真白な足袋が二足ほど乾いてぶら下つてゐた。そのしんとした庭の中をまつすぐに庫裡の方へ横切つてゆくと、いきなり
「やあ」
と云ふ疳高《かんだか》い大きな声があたりに響きわたつて房一を面喰せた。
本堂と庫裡とをつなぐ板敷の間で、ずば抜けて背のひよろ長い、顔も劣らずに馬面《うまづら》の、真白な反《そ》つ歯《ぱ》のすぐ目につく男が突立つてゐた。
「なんですか、御挨拶まはりですかね、それはどうも御苦労さまですなあ。――まあ、お上り下さい」
又立てつゞけに、一人でのみこんで、殆ど房一に口を開く隙を与へないこの男は、セルの単衣《ひとへ》を着て、その上に太い白帯をぐるぐる巻きにしてゐた。角張つた頭骨の形がむき出しになつた円頂と、この白帯とがなかつたら、僧侶といふよりは砲兵帰りの電気技師にでも見えたかも知れない。彼は小学校の頃房一より四五級上だつた。その頃から彼はひよろ長い背丈の、時々くりくり坊主にされて、その青光る頭を振り立てて町場の腕白仲間の先頭に立つてのし歩いてゐた。さういふ目立ち易い恰好が相手には又とない悪口の種を与へたものだつた。小憎らしかつたその慓悍《へうかん》さが、今その倍増しになつた背丈と同じやうに彼の中に育つて、ちつとも坊主臭くない筒抜けな、からりとした性格に発展したやうであつた。高間医院の造作中に、彼は前を二三
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