あることが判つた。しかも、いゝ年輩の戸主連がこの揃ひの紙衣裳で町を練り歩かねばならないといふことが味噌《みそ》だつた。めでたい色だといふので赤が選ばれたのだが、何しろそれは安物の紙風船が雨にぬれて色が浸み出したやうなぼんやりした斑《まだら》に染め上げられ、触るたびにばさばさと大げさな音をたて、折目はぴんと立ち、皺はあくまで強情にしかもだんだんふえるばかりで裾だの袖口がをかしな風にまくれ上つて云ふことを利かないのだつた。いくらかへうきんなところのある小谷は、早速それを着用に及んで、座敷の中を威儀をつくつて歩きまはり、家の者の腹を抱へさせたので、その恐るべき効果は十分味つてゐたのである。で、他の家の主人達がどんなにそれを着こなすものか、今となつてどんなに尻ごみするものか、様子を見たくなつて、先づ手はじめに房一のところへ出かけて来たらしい。
 その場に居合せた道平を見かけても、小谷はあんまり紙衣裳に気をとられてゐたので、それが大病の後でやつと起き出した珍しい姿だといふことに心づかなかつた。が、大分たつて思ひ出した小谷は、
「さうさう、先だつてはお加減がわるかつたさうですが――」
 と、その稍落ちつきのない女らしい黒瞳《くろめ》がちな眼を道平に向けた。
 すると、道平の半ばひきつゝた表情の中には、又あの悦ばしさが、かうして歩いて来たことを人に見られるといふ満足が、ゆつくりと、何だか紙のずれるやうな工合に上つて行つた。
「もう、だいぶようなつたですわ」
 と、彼は恐しく手まどつて答へた。
「お髯がなくなりましたわ」
 と、盛子が傍から又さつきのをかしさを思ひ出したらしく、そつと注意した。
「はあ! さう――ですね」
 小谷は髯のことなんかはよく覚えてゐなかつたので、曖昧に、気のない返事をした。道平は、さつきは盛子に紅くなるほど笑はれて多少気を悪くしたことではあるが、こんな風に自分が元通りに恢復し、房一の家の縁側に腰を下し、やつて来た人から何やかと話しかけられることに一種のまごつきと期待を現しかけた。だが、小谷には何の反応もなく、その目は又紙衣裳の方へ帰つた。
「もう着てみましたか」
「いゝや、まだ」
 とてもそんなことは! といふ風に房一は答へた。
「一つ着て見せたらどうです? 高間さんにはきつと似合ひますよ」
「まさか!」
 だが、さう云つてすゝめる当の小谷には、その細面の小柄な様子には、何でも似合ふやうなところがあつたので、この紙衣裳さへ似合ふにちがひなかつた。小谷は何とかして、この場で房一に着させよう、その効果を楽しまうと考へてゐるらしかつたが、房一が相手にならないので、話を他に持つてゆき、いきなりこんなことを云ひ出した。
「誰でも主人が出なくてはいけないきめ[#「きめ」に傍点]でせう。すると、千光寺さんはどういふことになりますかね。坊主が神主の恰好をするのもをかしなもんぢやありませんかね!」

     三

 その日、河原町では早朝から何かしらざわめいてゐた。町の裏手に迫つてゐる山々はちやうど東側にあたつてゐたので、朝の日は河原町の上に光を投げて家々の白壁を明く浮き上らせる前に、町の西方にひろがつた盆地の端に低く長く横はつてゐる小高い丘陵地(それは最近切り倒された雑木山であるが、町からはかなり遠いので、何だかそこだけが茶褐色の埃を浴びてゐるやうに見えた)に最初の薔薇色の光を投げかけた。空にはきれぎれの雲が浮かんでゐた。それはどこを向いて流れてゐるとも判らないほどゆつくり動き、動くにつれてだんだん形を変へ、うすれ、又新しい雲がどこからか生れてゐたが、それもゆるゆると消えて行くのであつた。
 かうして、びつくりするほど冴えた、明い日がやつて来た。いや、それは昨日も一昨日もその前も、かういふ日がつゞいてゐた。だのに、やはり、今日又新しく特別にとび切りにやつて来たとその度に思はせるほどの快い日だつた。どこもかしこも透き通るやうで、はつきりし、乾いた空気がふはりと頬のあたりに触れ、どこからかつんとする気持のいゝ山の匂がやつて来た。
 その中を、子供達はまだ朝飯がすまないうちから通りへ出て、軒から軒へ筋交《すじか》ひに張りわたされた小旗の下を駆けまはり、叫び声を上げ、蝋燭に火の入らない日の丸提灯が伸び切らないで尻を持ち上げたまゝぶら下つてゐるのを眺め、家ごとに定紋入りの大提灯が板屋根のついた台と共に立てられ、鳳鳳のついた万歳旛《ばんざいばた》とがずらりと列をなして並んだ様を片目をつぶつてどこまでつゞいてゐるかすかし見たり、一々数をかぞへてゐたりしてゐた。そして、犬までが子供達のさわぎに釣られて走り、きよときよとし、又走り出してゐた。
 午近くなつて空気は温められてどんどん上昇し、どこも冴えてきらめき、何か軽い気を遠くさせるやうな気配は、あ
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