は足を踏ん張つたまゝ今泉に云ひかけた。こんなに彼の方から話しかけるなんてことは滅多になかつたので、よほど虫のゐどころがよかつたのだらうが、それでもいつものあの愚弄するやうな色は争はれなかつた。
「うむ」
 今泉は一寸いやな顔になりかけたが、
「今日は士曜日で、半休だからね」
 それは、やつぱり何となく「役所」臭かつた。
「ふうん。気楽な身分だね」
 徳次はすつかり感心したとも、又その反対ともとれる云ひ方だつた。
「フム」
 今泉はかすかに鼻のあたりを不満げにふくらませた。
 だが、急に機嫌をとり直した。そして、徳次が彼の口から聞くことでどんな表情になるかを期待しながら、ゆつくり相手の顔を見て云つた。
「さつき着いたばかりの新聞で見たんだがね、――堀内将軍がいよいよ凱旋されるさうだ」
 徳次は新聞なんかはとつてゐなかつた。ところが、町のずつと上手にある町役場では、すぐ近くのバスの発着所からいの一番に配達されるし、又県庁からの示達があるので、いろんな特種《とくだね》が入つた。今泉は早耳好きだつた。それに堀内将軍は聯隊長時代に今泉の上長だつた。その年の夏青島攻略がはじまつて、新聞に堀内将軍の記事が出て以来、今泉は何度河原町でこの「信水閣下」のことを話したものだらう。彼は夢中になつてゐた。その情熱のおかげで、今泉は町中の人が彼と同じ位に「信水閣下」を知つてゐるやうにさへ思ひこんでゐたのである。だから、新聞で凱旋の記事を見たとき、今泉はもうどんなにしてもそのことを知るかぎりの人に、誰でもいゝ、報《しら》せたくてたまらなかつたのだ。
 ところが、徳次はぽかんとした表情を浮かべたきりだつた。
「ホリウチ?」
「うん。青島陥落の、ほら、旅団長閣下だよ」
「あゝ、さうか。ふうん」
 やつと、徳次は感心した。青島陥落はついこなひだのことで、その時は徳次も提灯《ちやうちん》行列に出たのである。
 今泉は調子づいた。
「神尾司令官閣下と同列なんだよ。宇品から東京駅着。それから直ちに参内上奏されたんだよ。どうも、すばらしいね。目に見えるやうだね」
 今泉の読んだのは予定記事だつた。だが、早のみこみと、簡単な熱中家が造作もなくつくり上げる本当らしさ、それによつてなほ熱中するといふあの癖とによつて、彼はそれをすでにあつたことのやうに話しこんだ。若し、他にまだ話したくてたまらないことがなかつたら、
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