「んだろうということになって、そこで方々の書物商、酒屋、乾物商、葉茶屋などへ人を急派して探させてみたが、どの商店にもほとんどないし、二、三あるにはあっても、小さ過ぎたり、概して弱くてお話にならない。しかもそれが例の「手芸木製品」だとあってなかなか安くないのである。詰らない事柄だが、私はこれによって、今まで気がつかなかった大英国の一欠陥を発見したと思った。気が利かないといおうか、即座の間に合わないと言おうか、とにかく、この時ほど英吉利《イギリス》の社会を不便だ、間が抜けてると感じたことはなかった。
そのうちに、或る人の話で、私は早速タイムスのブック倶楽部へ駈けつけた。ここでは、大戦中に英吉利の政府が弾薬の輸送に使った箱を、本を送るためとして一般に売り出していると聞いたからだ。が、飛び込んで行って実物を見ると、やっぱり当てが外れてしまった。第一、四六判の洋書が二十冊も這入ると一杯になるほどの大きさしかなく、それに、本来の目的が目的だけに莫迦に頑固に出来ていて、内部がとたん[#「とたん」に傍点]張りか何かで空っぽでも好《い》い加減重いのだ。これで本を送った日には半分以上は箱の郵税になってしまう。送り出すと言っても、私は自分の船へ積んで身体《からだ》と一緒に行くんだから、何もそう堅牢であることは要しないが、そのかわり相当大きくて少数で済むほうがむしろこの際の条件なのである。
と言ったふうに、乗船近くなってから苦しみ抜いた結果、ふと考えついたのが、どこの店ででも売っている繊維質《ファイバア》のトランクである。すぐさま近くの百貨店ボン・マアシェへ出かけて行ってみると畳一枚に近い大きさのが、たった十三|志《シリン》――約六円半――だ。繊維性の布に防水塗料を被《かぶ》せたもので、それでもあちこちに金具が光り、二個所に鍵までかかるようになっている。何しろ、持ってこいの大きさで、しかも立派なトランクだ。で、これだとばかりにそれを六個揃えて立ちどころに用は足りたが、そこで、私は考えたのである。
ただの板を釘づけにしただけの荷造り用の木箱でさえ、約十円の一|磅《ポンド》――二十|志《シリン》――もする。タイムスの弾薬箱にいたっては、蜜柑《みかん》箱ほどもなくて十|志《シリン》――ざっと五円――である。それだのに、この巨大なトランクは、「巨大」であり「トランク」であるにもかかわらず、「木製」でなく、「|手造り《ハンド・メイド》」でなく、「機械による多量生産」であるために、たった十三志なのだ。これほど私のこころを打った東西文化の方向の相異はない。じつによく両者の食いちがいをあらわしていると思う。これを言いたいためにのみ、長ながとこのエピソウドを書いて来たのだが、煎《せん》じ詰めると、いたずらに先方の真似をしないで、わが特長を伸ばして往く以外に、私たちの進展の途はないということになる。
このトランクは非常に重宝した。木箱や弾薬箱は、送って来て日本へ着いてしまうと、毀《こわ》してお風呂の薪《まき》にするくらいの用途しかないが、トランクなら、物を入れて保存して置くのに子々孫々まで役に立つ。
これらのトランクは、当分私達の家に異彩を放つことだろう。書物とは限らない。英吉利《イギリス》から何か送るには、迷わず繊維性《ファイバア》のトランクに入れることだ。
2
さて、これでいよいよ帰国の途に就けるというんで、喜び勇んでいると、またしてもここに一大事件が勃発した。
旅券《パスポウト》を紛失したのである。
そもそもこの旅券たるや、海外における唯一の身分証明であって、国籍による必要の保護も、金銭関係の保証も、その他すべて公式の場合には、一にこの緑色の小冊子が日本帝国としての口を利くんだから、天涯の遊子にとっては正《まさ》に生命から二番目の貴重品である。第一、これがなくては英吉利《イギリス》を出ることも船へ乗ることも出来ず、完全に身動きが取れなくなってしまう。それほど大事なものを失《な》くするなんて実に愚《おろか》な話だが、旅行中は虎の子の信用状や現金の英貨――旅行に持って歩くには、五|磅《ポンド》乃至十|磅《ポンド》のいぎりすの紙幣が一番いい。相場によって高低することもすくなく、どこででも簡単に両替出来るから――と同居させてしじゅう肌へつけていたんだが、それが、もう帰国すれば用がなくなるというんでそこらへ投げ出して置いたのが誤りの因《もと》らしい。すっかり荷作りを済ましたあとで、旅券の無いことを発見したのだ。
一体旅行もいいが、出発ごとの|荷作り《パッキング》ほど嫌なものはない。西洋人はいい加減に誤魔化してしまうが、日本人は、日本人らしい丹念さから、細かい隙間まで利用して実に能率的に詰め込む。あまりに能率的過ぎてかえって能率が上らないようだが、とにかく、せっかく何日もかかって出来上った大小幾十個の荷物を、この旅行免状一冊のためにすっかり引っくり返さなければならないことになった。
口説《くど》いてみたってはじまらない。どうしても探し出さなければならない性質のものだから、徹夜してその事業に着手した。出帆前夜のことである。
が、部屋の内外は勿論、荷物は全部出して、トランクからスウツ・ケイスから一応順々に逆さにして振ってみるくらいにしたけれど、問題の旅券はとうとう出て来なかった。
この旅券捜査には、下宿の老夫人をはじめ、同宿の連中から女中一同まで、総動員で手――というより眼――を貸してくれたのだったが、ついに徒労に帰して、翌朝早く、私たち二人は倫敦《ロンドン》の日本領事館へまかり出た。そして平身低頭、泣きを入れてやっとのことで新しい旅券の再下附を受け、それでようよう乗船することが出来たわけだが――もっとも、帰国の船なら旅券なしでも乗れるけれど、そのかわり、旅券入用の土地、例えば、英領植民地などへは、寄港しても上陸することを許されない――ところが、五十日近い海の旅を終えて先日日本へ帰ってみると、外遊中の留守宅を頼んで置いた鎌倉の某家へ、私宛に倫敦の下宿から厚い封書が届いている。シベリア経由だから私たちより先に疾《と》うの昔に着いたのだ。莫迦に重要めいてるが何だろうと思って開けてみると、出発の時あれほど骨を折らした古い旅券が出て来たには驚いた。手紙がついていた。
「御出発後、女中がお部屋を掃除しましたところ、戸棚の敷紙の下からこれが出て参りました。勿論あなた自身が安全のためそこへ入れて置いてお忘れになったものでしょう――。」
まさにそのとおりの記憶がある。いたずらにかの老婆をして名を成さしめたに過ぎないのが、私としてはいま遺憾この上ない次第だ。
ところが、倫敦《ロンドン》の領事館で貰って来た第二の旅券である。
これをまた神戸のオリエンタル・ホテルに忘れて来たと言って大騒ぎをした。
六月三日に神戸入港、八日横浜へはいるはずだったSS・H丸が、一日早く――NYKの船でも予定より早く着くこともあるという実証のために――二日に神戸へ投錨してしまったので、八日まで一週間近くも神戸桟橋の船内でぶらぶら[#「ぶらぶら」に傍点]しているわけにも往かないから、入港と同時に上陸してオリエンタル・ホテルに二日泊ったのだが、四日の朝、東京へ来る特急のなかで、再下附の旅券がないと彼女がいい出した。なあに、もう日本国内だから旅券なんか要らないさと私は威張ってみたものの二度も紛失したんではどうも後始末が厄介である。困ったことになったと些《いささ》か悄気《しょげ》ていると、これは幸いにして帝国ホテルへ着いて当座の荷を解くと、その鞄の一つから現れたのでまずほっ[#「ほっ」に傍点]とした。
が、いくら呑気だからって、私たちほど忘れ物を商売にしてるようなのもあるまい。そのオリエンタル・ホテルででも、部屋を出る時は一かど落着いてすっかり検分したつもりだったにも係わらず小使《ポウタア》の一人が動き出そうとしている私達の車窓へ葡萄牙《ポルトガル》で買った銀の煙草入れを届けてくれたし、帝国ホテルでだって、いよいよ鎌倉の自宅へ帰る段になって、勘定《ビル》を済まして玄関で自動車を待っていると、そこへあたふた[#「あたふた」に傍点]と部屋付きボウイが私の時計と彼女の帽子を持って駈けつけて来たくらいである。
この通り、自慢じゃないが、一年半に近い外遊中、私達が諸国各地のホテル・停車場・タキシ内――これが一番苦手だ――その他料理店等で置き忘れて来た色んな物品を価格に見積ると、決して馬鹿にならないものがある。なかんずく、その種品別にいたっては実に奇抜の到りで、ことに今考えても口惜しくて耐らないのは、芬蘭土《フィンランド》の内地へ踏み込んだとき――まあ、止《よ》そう。愚痴をこぼしたってどうにもならないし、それに、この置き忘れ・紛失物の一件を並べ出すと、それだけで優に、生活の角度から見た全般にわたる旅行漫筆が出来上るくらいで、その土地々々に関する多少の描写の説明も必要だし、何よりも、いまここにその紙数もなければ場合でもない。しかし、のべつ幕なしに驚いたり急いだり狼狽《あわ》てたりするのが、旅行者の特権であり義務であるとは言いながら、あれほど色んな国へ雑多な物を撒き散らして来たくせに、よく自分で自分を置き忘れて、自分を西班牙《スペイン》かどこかのホテルの寝台へでも寝かしたまんまにして来なかったものだと、われながら感心している。
それはそうと、いつの間にかもう日本へ帰着したようなことを言っているが、じつは、話しのうえでは、SS・H丸はいまやっと倫敦《ロンドン》テムズ下流のロウヤル・アルバアト埠頭《どっく》を離れたばかりのところに過ぎない。
で、これらの大小事件を突破したのち、ようよう船へ乗ることが出来たのだった。
四月二十日出帆というのに、潮の工合で、二十日は早朝に解纜《かいらん》するから、十九日一ばいに乗り込むようにというお達しである。ポウト・トレインは、四時二十分にフェンチャアチ停車場を出るという。その二十分前の四時になっても、私たちはまだ荷拵《にごしら》えが出来ずにいる。
荷物が余ってどうにも仕様がないのだ。一たい、この、室内に山積し散乱している物品を白眼《にら》んで、過不足なくその全部を入れるに足る容積のトランクなり鞄なりを予め想定するには、実に専門的な眼力を必要とするのだが、私達はこの点でも明かに失敗した。すなわち、充分這入ると多寡をくくって安心し切っていた最後のトランクへ、いざとなって詰めて見ると、思った半分も這入らないのだ。と言って、今になって入れ物を買いに走る時間はない。仕方がないから、下宿の老婆を煽《おだ》てて家《うち》じゅうから買物の空箱《あきばこ》やら、クリイニングから洋服を入れてくるボウル紙の箱や何かをありったけ徴収し、それへ手当り次第に放り込んだのを糸で縛ってタキシへ投げ入れ、狂気のように疾駆させて、ほんとに間一髪のところで船へ聯絡する汽車の出発に間に合ったのだった。
けれど、日本で下船するとき、そう幾つも紙箱をぶら提げるわけにもいかないから、これは、香港《ホンコン》で樟《くす》の木製の大型支那箱を買って、全部をこれへ叩きこむことによって見事に解決した。この樟材の支那箱は絶えず内部に樟脳の香《かおり》が満ちていて、ナフタリンなんか入れなくても虫を防ぐから、毛織物類を仕舞って置くには、家庭用として特に便利である。それはいいが、香港《ホンコン》でこれを買う時言葉が通じないで大いに弱った。確かに「くすのき」製に相違ないかと念を押してやろうと考えたのだが、さて、何と言っていいか判らない。そこで気が付いたのが筆談だ。紙と鉛筆を取り寄せ、正成《まさしげ》公から思いついて「楠《くすのき》」の字を大書し、箱を叩いて首を傾《かし》げて見せた。これで老爺《おやじ》め、会心の笑みを洩らすことであろうと私は内心待ち構えていると、彼は不愛想に私の手から鉛筆を引ったくって、非常に事務的に私の「楠」の字を消してその傍《そば》へ「樟《くすのき》」と訂正した。なるほど、これでこそ
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