「る首の赤い給仕人の群・舌と動作の滑かな大詐欺師の一隊――現世紀に逆巻く唯物|欧羅巴《ヨーロッパ》の男女の人生冒険者が、各々の智能と衣裳と役割を持ち寄って、この一冬のモリッツに雪の舞踏を踊りぬく――それは、夜を日に次ぐ白い謝肉祭《カーニヴァル》なのだ。
 もちろんそこには、一年じゅうの給料を貯金したので着物を買って来て、うまく名流の令嬢に化け澄ましているマニキュア・ガアルや、故国の自宅へ帰ると暗い寒いアパアトメントの階段を頂上まで這い上らなければならない、自選オックスフォウド訛《なまり》の青年紳士やが、それぞれ「大きな把握」を狙って、このSETにまじって活躍していることは説明の必要もあるまい。サン・モリッツは、偽《にせ》とほん物のカクテル・シェイカアだからだ。皆がみな、お互いに Make−believe し合って、その相手の夢を尊重する約束を実行している催眠状態――山と湖と毛糸の襟巻によって完全に孤立させられている別天地だからだ。おまけに、雪はすべてを平等化する。眼をつぶって心描して下さい。雪の山と、雪の野と、雪の谷と、雪の空と、雪の町と、雪の女とを。そして、この切り離された小世界に発生する事件と醜聞と華美と笑声と壮麗と雑音とを――何とそれは、adventurer と adventuress に都合のいい背景であろう!
 そこを占めるものは、男も女も同じ服装で傾斜を上下する笑い声であり、濡れて上気した女の頬であり、革類と女の汗の乾くにおいであり、誰でもとの交友と・ダンスと・カクテル・パアティと・スキイの遠出と・夜更けのホテルとであり――だから、男振り自慢の巴里《パリー》の床屋は、外観を急造して大ホテルへ乗り込み、「美術家」と自己登録していることであろうし、港の運送屋は貿易商と、ピアノの運搬人は音楽批評家と、安芝居の道具方は舞台装置家と、帽子の売子嬢は「頭部の専門家《スペシャリスト》」と、自費出版の未亡人は詩人と、街路掃除夫は社会改良家と、踊り子は舞踏家と、郵便脚夫は官吏と、機関手は運輸業と、給仕は会社員と、売笑婦は「独立生計」と、めいめいその花文字のようなホテルの台帳の署名と一しょに、こういう触れ込みで押しまわっているかも知れないのだ―― The White Carnival ! St. Moritz !
 とうとう私は、あのロジェル・エ・ギャレの本名は知らないのである。しかし、それでも私は、彼がオスロかどこか北方の首府に仕事と地位を持っている希臘《ギリシャ》の若い海軍武官であったことも、いつも小さな秤《はかり》を携帯していて、それで注意深くフィリップ・モウリスの上等の刻み煙草を計って、自分で混ぜて、晩餐後のヴェランダで零下七度の外気へゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]と蒼い煙りを吹き出す習慣のあったことも、例の大陸朝飯を極度に排斥して、BEEFEXと焼き林檎と純白の食卓布《テーブルかけ》に可笑《おか》しいほど固執していたことも、趣味として、部屋では深紅のガウンを着ていたことも、読んでいたバルビュスの作品よりも、実を言うと、巴里《パリー》版ルイ・キャヴォの絵入好色本のほうが好きらしかったことも、すべての犬をこわがって狆《ちん》に対しても虚勢を張ったことも、英吉利《イギリス》の総選挙を予想して各政党の綿密な得票表を作っていたことも、その一々に関して、食後から就寝までの数時間を消すに足る詳細な説明を用意していたことも、それから、これはたびたび言ったが、半東洋風の漆黒の頭髪を、ロジェル・エ・ギャレ会社製の煉香油《ねりこうゆ》で海水浴用|護謨《ごむ》帽子のように固めていたことも――だが、彼が、外見を急造して、あのオテル・ボオ・リヴァジュへ乗り込んで来ていた巴里の理髪師ではなかったと、誰が保証し得る?
 そして、あのナタリイ・ケニンガムは、一年中のお給金を溜めてそれで着物を買って来た、名家の令嬢こと実は、倫敦《ロンドン》の一マニキュア・ガアルではなかったか――と、こういう、これは僕の想像である。
 が、物語りの結末から言って、ここはこの二人に、どうしてもそうあってもらわなければうそ[#「うそ」に傍点]だと僕は思うんだが、君、君の考えはどうです?
 私たちも、間もなく白い謝肉祭《カーニヴァル》を逃れて、安堵と一しょに英吉利《イギリス》海峡を渡った。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, was it a dream ?
[#ここで字下げ終わり]
 倫敦《ロンドン》には、アウモンズの花が平凡に咲いて、WEEK・ENDの自動車の流れが途切れもなく続いている。
 MR・ウインストン・チャアチルは、お茶の税を撤廃して、その減収を、競馬賭金仲人《ブック・メエカアス》の電話へ年四十|磅《ポンド》の増税を課することによって、補おうと言うのだ。賛成と反対・賛成と反対。
 選挙は近い。
 BRIXTONの大通りは、政党の宣伝貼紙で一ぱいである。
[#ここから2字下げ]
   Socialism Means
 Higher Prices, More Strikes
Heavier Taxes, Less Employment
    VOTE FOR

 CONSERVATIVE POLICY !
[#ここで字下げ終わり]



底本:「踊る地平線(下)」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年11月16日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第十五巻」新潮社
   1934(昭和9)年発行
※底本には、「新潮社刊の一人三人全集第十五巻『踊る地平線』を用いた。初出誌および他の版本も参照した。」とある。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:米田進
2002年12月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全7ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング