る。
硬い雪――浅く滑かに氷った表面。しかし、あの、灰色にぎらぎら[#「ぎらぎら」に傍点]してる硝子《ガラス》のかけらのようなやつはいけない。多勢スキイヤアスの集《あつま》る陽かげの丘なぞに、よくこの「硬い雪」の展開が発見される。一つはその上の頻繁な交通《トラフィク》に踏まれて出来るのだ。主に疾走に歓迎される。CHRISTIやステム・タアンにもいい。クリステはクリスチアナ――諾威《ノウルウェ》の首府の前名から来てる――の略で、スキイを外側に円《まる》く使って、急に向きを変える曲芸《スタント》の一つである。ステム・タアンは、片方のスキイを上げて他と一定の角度に置き、それへ全身の重みを投げて急廻転する。これはステミングとは違う。ステミングは、スキイの先を一点に近づけ、背後を拡げてV字形を作る。傾斜の激しい氷面を降りる時になど、スピイドを加減するための方法である――この硬い雪は、近代的に場慣れた恋だ。だから、あの、硝子《ガラス》玉のように妙にぎらぎら[#「ぎらぎら」に傍点]する嫉妬の眼はいけない。「大戦後の新道徳」を実践して来た同志のあいだにのみ進展する恋である。これは、一つは、多くのシチュエイションを手がけて、色んな相手との交通を踏んだためだ。したがってこの恋は勇壮に疾走する。そして、よりいいことには、相互の理解のうえで、色んな恋愛技術のSTUNTが行われるだろう。クリステだの・ステムだの・V字形だの。
毀《こわ》れない外皮《クラスト》――雪・雨それから寒風とこう続くと、サン・モリッツをはじめ瑞西《スイツル》じゅうのスポウツマンは上ったりだ。地雪のおもてが氷のように硬張《こわば》って、しかも、いつそれが「|醜い姉妹《アグリイ・シスタア》」と呼ばれる次ぎの種類に急変しないとも限らない。で、最も嫌がられる一つである――結婚しなければならなくなって結婚した結婚だ。大戦の直ぐあとの混沌とした時代に発生した、こういう結婚の多くを、私たちは今日の欧羅巴《ヨーロッパ》文学の作品と実際生活のうえに見る。「あらゆる事情」が「たった一個の指輪」に罩《こ》もっていて、そしてそれが、毀れそうでなかなかこわれない。それだけ厄介なのだ。
こわれる外皮《クラス卜》――スキイヤアスの悪夢である。すこしも続けて滑ることが出来ない上に、この種の雪は、廻転《タアニング》を絶対に不可能にする。間誤々々《まごまご》すると sitzplatz だ。山の中腹以下に多い。これを識別するには、雪を手で振るといい。指の間から水が滴《したた》るようでは駄目だし、音を立てて軋《きし》んで、固いボウルになれば占めたものだ。雪融《ゆきど》けは空気のにおいで解る。また、風の方向の通りに小波状に光ってる場所も、避けなければならない――恋愛の悪魔だ。長つづきしないくせに、タアニングも容易でない。そのうちに流行の離婚ということになる。ほんとにあの戦争の苦楚《くそ》を嘗《な》めた中年以上に多い。
FOEHN――瑞西《スイツル》に特有な、俄かの雪解けをもたらす暖かい地方風だ。これが吹き出すと、蝋を引いたばかりのスキイにさえ、雪が球状に附着するから直ぐ予知出来る。そうすると、「毀れる外皮《クラスト》」のあとに、つづいてTHAWが来る惨めな二、三日を覚悟して、人はみんな shank's pony で町と森の逍遥に出かける。おかげで、聖《サン》モリッツや、モントルウや、インタラアケンや、ルツェルンなどの小博物館のような記念品屋《スウベニア》で、水を入れると歌い出す小鳥のコップ・開け方のわからない謎の洋襟《カラア》箱・検微鏡でなければ針の読めない小さな時計・オルゴウル入りで「|甘い家庭《スウィイト・ホウム》」を奏する煙草壷、なんかが店を空《から》にするまで売れて往くのだ。あめりか人の・英吉利《ギイリス》人の・仏蘭西《フランス》人の・希臘《ギリシャ》人の・日本人の、好奇なウィンタスポウツ旅客団の襲来によって――これは、近代の恋愛に特有な、週期的な雪解けの微風である。こいつが吹き出すと、結婚したばかりの相手のポケットから見慣れない手紙が出て来たりする。そうすると、退屈と焦慮の今後を覚悟して、人は冒険心に乗って町と森の逍遥をはじめる。そして、おかげで、大都会と開港場の恋の市場が空《から》になるほど盛《さか》るのだ。亜米利加《アメリカ》人の・いぎりす人の・仏蘭西人の・ぎりしあ人の・日本人の、好奇な恋の観光団の襲来によって。
――証明を終ったロジェル・エ・ギャレは、薔薇《ばら》材のパイプに丹念に小鼻のわきの脂《あぶら》を塗りはじめた。木を古く見せて、光沢を出そうというのである。
私達のあいだには、スキイ――英吉利人はSKIを北欧の原語どおりに「シイ」と発音するが、この音の仏蘭西語には一つの野蛮な意味の言葉があるから、大陸ではやはりスキイと言ったほうが穏当だ――のように、いつまでも会話が辷《すべ》った。
私が話した。
ひとりの若い日本の学者が、倫敦《ロンドン》に来ていた。彼は、研究の題目以外に、下宿の娘にも異常な魅力を感じた。娘も母も、自分たちが、その外国人の上にそんな大きな影響を投げていることは知らずに、そうすることを異国者に対する義務と思って、出来るだけ好《よ》くしていた。娘は日本人と一しょにどこへでも出かけた。それは、彼女にとっては、恋からは遠い尊敬と友情のこころもちだった。が、日本人はそれを恋と取ったのだ。そして、それによって一層自分の感情を燃やして行った。そういう気で見ると、何の意味もない娘の一挙一言も、彼には、すべて別の内容をもって響くのだった。事実ふたりは、必要以上にいつも一緒にいるようになった。それは、誰の眼にも恋人同志としか映らなかった。近処は彼らの評判で賑やかだった。その噂が母親なる主婦の耳にも入った。早晩彼が、正式に結婚を申込もうと思っている或る晩、二人伴れで散歩から帰って来ると、娘の母が言った。
『さっきお隣の奥さんが見えて、こんな莫迦なことを訊くじゃありませんか。わたしは怒ってやりました。お宅のお嬢さんとあの日本の紳士とは恋仲のようだが、もしあの方がお嬢さんに結婚を申込んだら、あなたは母としてどうするつもりかって――わたしは答えました。日本人は世界一に血の伝統的純潔を誇る国民です。彼らは、何よりも雑婚をいやしむのです。その日本紳士から結婚を申込まれるなんて、うちの娘がどうしてそんな光栄を持ち得ましょう? 考えるだけで、それは日本人にとってこの上ない侮辱です――と、わたしはあなたの名誉のために弁解しておきました。思慮のない人々が詰らないことを言い出すのにはほんとに困ります。が、そういう人が少なくないのですから、これからはあんまり二人で外出しないほうがいいでしょう。それに、忘れていましたけれど、此娘《これ》は近々田舎の親戚へ行くことになっていますし――。』
こういって、彼女は、自分の機智を悦《よろこ》ぶように笑った。勿論その「おとなりの奥さんが来てうんぬん」の全部は、事態の急を察した、下宿の主婦らしい彼女の作りごとだったのだ。これで日本人の出鼻を挫《くじ》こうとしたのである。彼女の計は見事|的《まと》に当って、日本人は蒼白な顔に苦笑を浮べたきり黙り込んだ。けれども、主婦が驚いたことには、この策は、結果から見て反対の効果を挙げただけだった。と言うのは、単に母親と違った観方《みかた》を持っていることを示すために、急に恋を感じた気になった娘は、いきなりその場で、日本人の首に腕を廻して接吻してしまったからだ。二人は母親と研究を捨てて、幸福と一しょに英吉利《イギリス》海峡を渡った。食うや食わずで困り切っている彼ら夫妻に、僕らは巴里《パリー》で会って識《し》っている。
異人種間の結婚に関するロジェル・エ・ギャレの意見を叩くために、私は特にこの挿話を持ち出したのだ。ところが、このなかで彼の興味を惹いたのは、最後の「何事につけても母親と異《ちが》った意見を持っていて自分のしたいとおりにする大戦後の娘」という一項に過ぎなかったから、私としては、すっかりこの目算が外れたわけだけれど。
彼は語った。
彼の友人に、倫敦《ロンドン》で開業している医者がある。やはり生れは希臘《ギリシャ》だが、今は英吉利に帰化していて、まだ若いにも係わらず、相当腕があるらしく、その病家の多くは、いわゆる社交界と呼ばれる階級に属している。
いぎりすでは、WEEK・ENDを騒ぐ。
土曜の正午から月曜の朝へかけて、誰もかれも田舎へ出かける。倫敦の周囲などには、海岸に、テムズの流域に、この小旅行の土地が無数に散在していて、或いは別荘へ、ホテルへ、またはキャンプに、人は義務のようにして泊りに行く。郊外に近い家の往来に面した部屋なんかにいると、土曜日曜は、ゴルフ道具・小鞄等を満載してしっきり[#「しっきり」に傍点]なしに流れる週末自動車の爆音で夜も眠れないくらいだ。
この週末旅行《ウィイキ・エンド》のなかで最も上等《クラシイ》なのが、country home へ招いたり招かれたりして、宴会・舞踏・カアド・テニスのパアティを連日連夜ぶっつづける種類である。何しろ爛熟し切った物質文明を無制限に享楽する時代と場処のことだ。しかもそれが大掛りな私遊《プライヴェシイ》なんだから、そのいかにでかだん[#「でかだん」に傍点]なものであるかは、あの有名な petting party なんかという途轍《とてつ》もない性的|乱痴気《ハラバルウ》が公然と行われている事実からでも、容易に想像されよう。そもそも、このペテング遊びなるものは――となると第一、傍道《わきみち》に外《そ》れるし、それに、どうもすこし説明に困るから、まあ、ここじゃあ止《よ》しとこう。それよりも、今いったロジェル・エ・ギャレの友達の医者《ドクタア》なる人の経験だが、こういう次第だから、彼が、ある week−end に出入りの有力な病家に招待されてその|田舎の会《カントリイ・パアティ》の客となったとき、そこに、一体どんなに大々的な歓楽の無政府状態が彼を待ち構えていたかは、つぎのような一つの実話が発生しただけでも、それはより[#「より」に傍点]容易に想像されようと思う――。
ちょっと語を切って、ロジェル・エ・ギャレは背後の音波に身を浸した。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, was it a dream ―― ?
[#ここで字下げ終わり]
で、僕も章《チャプタア》を更《か》える。
4
土曜日の夜、というよりも、もう日曜の朝だった。ダンスがこわれて、ドクタアは、与えられた階上の寝室へあがって行った。こういう家は、泊りがけの客を考えて、まるでINNのように建てられてあるのが常だ。だから、これが小説だと、「みんな一本ずつ蝋燭《ろうそく》を貰って、階段の手すりを撫でながら寝室を志した。彼らの跫音《あしおと》によって、古い樫材で腰板を張った壁が鳴った。天井は、|お休み《グッド・ナイト》・|お休み《グッド・ナイト》という口々の音を反響して暗く笑った」というところだが、とにかく、ドクタアは自分の部屋を探し当てて寝支度にかかった。燕尾服の直ぐあとで、パジャマのゆるやかさは殊に歓迎された。彼は、医師だけに空気の流通を思って、窓と廊下の戸をすこし開けたまま、灯を消してベッドに這い上った。
そして、暫らくうとうと[#「うとうと」に傍点]した。が、彼の浅い眠りは、間もなく、しきりに軽く彼の肩を突つく柔かい手で破られた。
ぼうっとほの[#「ほの」に傍点]白いものが、寝台の横に立っている。
薄桃色の裾長な絹を引っかけた女の姿だった――なんかと勿体ぶらずに、手っ取早く「|豆をこぼして《スピル・ゼ・ビインズ》」しまうと、要するに、こうだ。
女は、その日の午後、はじめてドクタアに紹介されたばかりの、倫敦《ロンドン》の知名な実業家の娘で、しかも、父母や兄弟と一緒にこのW・Eに来ているのだった。
その彼女が、深夜、独り寝のドクタアの室《へや
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