チている彼だった。その彼へ、彼女はときどき薄っぺらな笑いの切片を与えているだけにしか、私たちの眼には見えなかったが、それでも、ロジェル・エ・ギャレは満足以上の様子だった。雪解けがあったりして、スポウツに出られない日がつづくと、彼はもっと忙しかった。ナニイのブリッジの相手はこの希臘《ギリシャ》人に一定していた。お茶の舞踏には、火の玉みたいな彼女の断髪が、彼の短衣《チョッキ》の胸にへばり附いて、仲よくチャアルストンした。彼はその、上から二つ目の扣鈕《ボタン》の横に残った白粉《おしろい》のあとを、長いこと消さずにいた。それを人に注意されて笑う時の彼が、一番幸福そうだった。夜は、人並よりすこし長い彼の手が、フロックの下に直ぐ靴下吊具《サスペンダア》をしている彼女の腰を抱えてふらふら[#「ふらふら」に傍点]と「|黒い底《ブラック・バタム》」を踏んだ。しかし、|神よ王様を助け給え《ガッド・セイヴ・ゼ・キング》が鳴り出す前に、ナタリイは逸早く逃げ出していた。それを追っかけて、ロジェル・エ・ギャレはホテルじゅうを疾走した。会う人ごとに、彼女を見かけなかったかと訊くのが、彼は大好きだった。が、その時はもう彼女は部屋に上って、バス・ルウムで水を引いていた。その音は、どこにいても彼の耳に聞えて、はっきり鑑別出来るらしかった。これで彼も、ようようその一日を一日として、WATAのように疲れた身体《からだ》を階上の自室へ運び上げた。
こうして、ナタリイ・ケニンガムに対するロジェル・エ・ギャレの関心は、この一九二九年のシイズンの、オテル・ボオ・リヴァジュでの一つの affair にまで進展しかけていた。
7
ケニンガム夫人のウィンタア・スポウツに対する観念は、DORFとBADの聖《サン》モリッツじゅうに有名なほど、それは独特なものだった。まず彼女は、白繻子《しろじゅす》の訪問服の上から木鼠《きねずみ》の毛皮外套を着て、そして、スキイを履《は》いた。帽子には、驚くべきアネモネの縫《ぬい》とりがあった。耳環《みみわ》は|真珠の母《マザア・オヴ・パアル》の心臓形だった。彼女は、このいでたちでホテルの前の雪に降り立つのだ。やがて、二、三歩雪の坂をあるいたかと思うと、直ぐ立ちどまって、鼻のあたまに白粉を叩いた。それが済むと、いそいでホテルへ帰った。そうして残りの一日を、彼女は客間の大椅子で「休養」に過すのである。これがわがケニンガム夫人のウィンタア・スポウツだった。
冬の St. Moritz ――白い謝肉祭《カーニヴァル》は要するに仮面の長宴だ。
そこへ、羅馬《ローマ》法王の触れ出したほんとの謝肉祭《カーニヴァル》が廻って来た―― The Ice Carnival !
宵から朝まで、ホテルのスケイト・リンクで紐育《ニューヨーク》渡りのバヴァリイKIDSがサクセフォンを哮《ほゆ》らせ、酒樽型の大太鼓をころがし、それにフィドルが縋《すが》り、金属性の合いの手が加わり――ピアニストは洋襟《カラア》を外して宙へ放る。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, was it a dream ?!
昨夜《ゆうべ》あなたは僕の腕のなかにあった。
僕の腕はまだその感触でしびれてる!
それなのに夢だなんて!
[#ここで字下げ終わり]
一曲終る。アンコウルの拍手はしつこい。つづいてまた直ぐに始まる。限《き》りがない。ディッケンス小説中の人物・ハムレット・1929嬢・奴隷酷使者《スレイブ・ドライヴァ》・なぽれおん・REVUE広告のサンドイッチ人形・ルイ十四世・インディアン・ラジャ・めくらの乞食・道化役・あらびや人・支那の大官・蝶々さん――そのなかで、古タオルだけで扮装した南洋の土人が一等に当選する。案山子《かかし》は古い。牛小僧《カウ・ボウイ》も月並だ。大がいの人が、衣裳は倫敦《ロンドン》から取り寄せる。キングスウェイにデニスン製紙会社というのがあって、いろんな色で註文通りの紙衣裳を作ってくれるのだ。が、謝肉祭《カーニヴァル》の扮装舞踏に一ばん大事なのは、着物よりも顔の|つくり《メイキ・アップ》だ。大ていこれだけは、一組トランクの底に用意して旅行に出る。洗顔用タオル、赤いグリイス塗料《ペイント》、黒のライニング・ステック、楽屋用ワセリン一壜、白粉。顔を黒くするにはコルクを焼いてつけるといい。聖《サン》モリッツの薬屋でも、これだけ一箱に揃えて売っている。
仮装にスケイトをつけた人々が、氷の上に二重の輪を作る。内側は女ばかりで、外が男の列だ。女は外を向き、男の円はそれに対して内面して立つ。楽手は、全然テンポの違った二つの楽を奏さなければならない。はじめの音楽で女は左へ廻る。それが済むと、次ので男が右へステップする。そして、終ったところで
前へ
次へ
全17ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング