「のものだが、サン・モリッツとなると、瑞西《スイツル》の国旗を立て並べてお祭りさわぎの装飾をする。ジャンプ場なんか、まるでウィンブルドンの中央テニス・コウトの観がある。広い座席が何段にも重なって、一等席は倫敦《ロンドン》一流の劇場以上の切符代を取ってるくらいだ。そこへ、巨鳥のようにジャンパアが落ちてくると、パティの実写機が光る。運動記者の鉛筆はノウト・ブックを走り、メガフォンがその時々の結果を報告して号令のように轟《とどろ》く。
 スケイトも同じだ。聖《サン》モリッツあたりのリンクで、軽業《かるわざ》のような目ざましいスケイティングをやってる連中を見ると、大抵は専門家ばかりである。橇競馬は瑞西《スイツル》じゅうどこにでもあるが、サン・モリッツはゲエムの馬が違う。頭部に色彩の美しい飾りを附けていて、橇もほかのより大きく立派に出来ている。
 夜はダンスだ。どんなホテルでも舞踏交響楽のないところはない。昼間、男女の区別もわからないほど荒っぽい毛織物に包まれて雪と氷を生活していた紳士淑女が、短時間のあいだに流行の礼装に早変りして、ステイムと酒の香の温かい床《フロア》に「|触れ《タッチ》」を与えながら、夜が更けて、やがて、夜の明けるのを知らない。
 例えばこの、オテル・ボオ・リヴァジュのバワリイKIDS大ジャズ・バンド。
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Was it a dream ?
Say, was it a dream ?!
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     6

 寒い国のくせに、どういうものか煖※[#「火+房」、288−5]の設備が感心しないから、瑞西《スイツル》のホテルは、来た当座は、誰もあんまりいい気持ちはしないらしい。もっとも、いぎりす人なんかがよく行くビイテンベルヒのレジナ・ニパラスあたりは、彼等の随喜する薪《まき》を焚く炉が切ってあるけれど、そのほかの場所では、大がい痩《や》せこけたステイム・パイプが部屋の片隅に威張ってるだけだ。それも、約束どおり働かなかったり、或いは逆に、蒸気が上り過ぎて室内が温室のようになったりして、とかく、この瑞西《スイツル》のホテルのステイムには非道《ひど》い目に会うことが多い。スプルウゲンでは、ホテルの一室ごとに中央に大きなストウヴが据え付けてあって、煙突が屋根をぶち抜いている。あまり美的でないと同時に、これは塵埃《ほこり》を立てるので弱らせられる。それから、これだけは、どうしても大きなホテルへ行かなければ遣《や》り切れない一つの理由は、お風呂である。スポウツで汗をかいて来ても、直ぐにお湯に這入れないとあっちゃあ、殊に日本人は往生する。
 全く瑞西《スイツル》のステイムは、よくこれで失敗する旅客があるので有名だ。倫敦《ロンドン》や巴里《パリー》のつもりで寝てしまえば要らないだろうというんで、すっかり閉めてしまうと、パイプの運行が停まって湯が冷めるもんだから、夜が更けるにつれて凍り出すようなことになる。いわんや、ほかの国の気で、寝る前に窓でも開けておこうものなら、寒さのためパイプが破裂すること請合いだ。先年ルケルバルドでこのステイム・パイプがホテルの屋根を吹き飛ばしたことがある。あとからナイアガラのように水が噴き出て、不幸な止宿者一同は、難破船の乗組員みたいに泳ぎながら、村役場の出した救助ボウトを待たなければならなかった――なんかと、まさか、それ程でもあるまいが、ホテルのポウタアが話しているのを聞いた。が、これも、考えてみると、外国人には間違い易く出来ているのである。なぜかというと、ステイムの廻転面にある Auf という字は、英語の Off に発音が似てるけれど、こいつが食わせ物なんで、実は、その逆の On なのだ。そして、もう一つの Zu というやつが、Off を意味する。こういうことは、あちこち旅行していると珍らしくない。伊太利《イタリー》語の Caldoが、発音や字形の類似を無視して、ちょうど Cold の正反対の Hot に当るようなものだ。この場合も、冷水のつもりで熱湯を捻《ねじ》って、それこそ手を焼く――などという大失敗を演ずる旅行者が、ちょいちょいある。
 よく犢《こうし》を食べさせられるにも、いい加減うんざりさせられる。じっさい瑞西《スイツル》では、どの牛も、牛になるよほど以前に殺されてしまうのであろうと思われるほど、さかんに、無反省に、犢《コウシ》の肉を出す。が、特に女の人に有難いだろうと思われるのは、チョコレイトである。それでも、戦争前は、もっと安かったものだそうだが、この頃だって、世界のどこよりも見事なのが、ずっと廉価に売られている。飲料はチョコレイトなんかには、じつに素晴らしいものがある。TEAの店も、聖《サン》モリッツあたりでは随分繁昌しているが、女給はお茶を持って来る
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