ィに出ると、みんな木へ登って、葉と枝のあいだから悪口を落とすことにきめていました。すると、黒いエプロンに白の帽子をかぶった祖母が、大きな杖を振り上げて、あちこちの方角へ罵声と白眼を投げるのです。言葉はブリトン語でした。そして私たちは牛酪《バター》を作って、旅行者へ売りました。
 祖母は、確かに一つの性格でした。昔からの怪談と、鬼どもの話だけはすっかり諳誦していて、村の人は、信じはしませんでしたが、祖母のお話を聞くことだけは、誰も好きなようでした。祖母は、ただ人に怖がられるのが面白かったのかも知れません。色んな人が、夢や前兆のことを訊くために祖母を訪れました。そして、それが、不思議に、みんな祖母の言う通りになるのです。
 一度こんなことがありました。
 ケリュウ爺さんという村の麺麭《パン》屋が、或る晩、自分の前を走って行く Begul−Nouz を見たと言って、蒼くなって祖母のところへ駈け込んで来ました。このベギュル・ヌウという鬼のことを御存じですか。これは、結婚と葬式の前触れをする役目の小悪魔なのです。そこで祖母は、骨だらけの指をケリュウ爺さんの鼻先で動かしながら、お前さんは一月うちに死ぬか結婚するかどっちかだと明言したものです。お爺さんは三度も女房に別れた人で、もう一ぺん結婚するくらいなら、お葬式のほうが増しだなんて言っていましたが、それがどうでしょう! 次ぎの月の六日には、どこからか渡って来た頭髪の赤い、若い女と一しょになって祖母のところへお礼に参りました。これには村中が大笑いに笑って、聖《サン》マルネリの寺院に、まるで灯の山のようにお蝋燭が上りました。
 ブリタニイの女は、牛に似ています。
 その牛のようだった私も、いつしか若い男達の眼を惹くようになりつつありました。牛を教会へ連れて行って、お水をかけてもらう日があります。これが大変です。何人もの男たちが、私の牛を引いてってやろうとまるで喧嘩のように申し出るのです。聖《サン》ジャンの祭礼の晩には、村の広場に篝《かが》り火を焚いて、青年たちが夜どおし真鍮《しんちゅう》の盥《たらい》を叩く例です。が、私だけは家に閉じ込められて、ただその騒ぎを遠くに聞いていなければなりませんでした。
 なぜって、お祖母《ばあ》さんは、カルナク村の結婚世話人《マッチ・メエカア》をしていたからです。これは、年頃になったどこかの息子と、どっかの娘を、自分が仲に立って結婚させて、両方の親達からお礼を貰う一つの商売でした。じっさい、この結婚口利き業が、祖母の収入の殆ど全部ですのに、自分の孫である私の結婚となると、いま考えてみても可笑しいほど、祖母はむき[#「むき」に傍点]になって反対したものでした。それも、私を手離すのが淋しかったのと、もう一つは、あり勝ちな軽い嫉妬の形を変えた心もちからだったのでしょうが、結婚の仲介を稼業にしているくせに、或いは、それを稼業にしていればこそ、かえって、と言い直しましょうか、とにかく私の縁談には、冷淡以上に、惨酷なほどの態度をとっていましいた。そのために、言い寄ってくる男たちもいつの間にか遠のいて、私は、大きな身体《からだ》に子供のような服を着せられて、相変らず牛の乳をしぼったり、枯草を乾したりなんかばっかりさせられて、いました。もし若い男が私に話しかけでもしようものなら、祖母は狂気のように飛び出して行って、顎髯を振る、指を曲げて様々な悪霊の形を作って見せる、さては杖をかざして、ブリトン語で呪文を唱えながら白眼《にら》みつける、という始末ですから、とうとう村中の男が、誰も、私には、冗談は愚か、視線の一つも投げてくれないということになってしまいました。
 が、結婚の問題は、ぼんやりながら始終私の頭にありました。若い女は、何よりも「遅くなる」ことを恐れるものです。しかし、そうかと言って、私から祖母に言い出すことは出来ませんでした。カルナクでは、女はただじっ[#「じっ」に傍点]と待っていなければならないことに決められているのです。
 村外れの石山に、ケルト族の墓標だと言い伝えられて来た、円い大きな自然石があります。男性の形で、Croez−Moken ――つまり、若い女が、夜更けに出かけて行ってその上に腰かけるか、跨《また》ぐかすると、きっと一年以内に結婚が出来るという迷信のある石です。私は、今でも一番よくあの辺を覚えているほど、祖母の眼を忍んでは毎晩のように腰かけに行きました。
 ところが、その夜は大雨で、私は自家にいなければなりませんでした。あなたは、ブリタニイの雨を御存じですか。大粒な水滴が地面を穿《うが》って叩きつけるのです。私たちは、早くから扉《ドア》を閉めて寝に就きました。が、雨風の音で眠れないので、私は長いこと床のなかで眼をさましていました。すると、ちょうど真夜中で
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