るから、大陸ではやはりスキイと言ったほうが穏当だ――のように、いつまでも会話が辷《すべ》った。
 私が話した。
 ひとりの若い日本の学者が、倫敦《ロンドン》に来ていた。彼は、研究の題目以外に、下宿の娘にも異常な魅力を感じた。娘も母も、自分たちが、その外国人の上にそんな大きな影響を投げていることは知らずに、そうすることを異国者に対する義務と思って、出来るだけ好《よ》くしていた。娘は日本人と一しょにどこへでも出かけた。それは、彼女にとっては、恋からは遠い尊敬と友情のこころもちだった。が、日本人はそれを恋と取ったのだ。そして、それによって一層自分の感情を燃やして行った。そういう気で見ると、何の意味もない娘の一挙一言も、彼には、すべて別の内容をもって響くのだった。事実ふたりは、必要以上にいつも一緒にいるようになった。それは、誰の眼にも恋人同志としか映らなかった。近処は彼らの評判で賑やかだった。その噂が母親なる主婦の耳にも入った。早晩彼が、正式に結婚を申込もうと思っている或る晩、二人伴れで散歩から帰って来ると、娘の母が言った。
『さっきお隣の奥さんが見えて、こんな莫迦なことを訊くじゃありませんか。わたしは怒ってやりました。お宅のお嬢さんとあの日本の紳士とは恋仲のようだが、もしあの方がお嬢さんに結婚を申込んだら、あなたは母としてどうするつもりかって――わたしは答えました。日本人は世界一に血の伝統的純潔を誇る国民です。彼らは、何よりも雑婚をいやしむのです。その日本紳士から結婚を申込まれるなんて、うちの娘がどうしてそんな光栄を持ち得ましょう? 考えるだけで、それは日本人にとってこの上ない侮辱です――と、わたしはあなたの名誉のために弁解しておきました。思慮のない人々が詰らないことを言い出すのにはほんとに困ります。が、そういう人が少なくないのですから、これからはあんまり二人で外出しないほうがいいでしょう。それに、忘れていましたけれど、此娘《これ》は近々田舎の親戚へ行くことになっていますし――。』
 こういって、彼女は、自分の機智を悦《よろこ》ぶように笑った。勿論その「おとなりの奥さんが来てうんぬん」の全部は、事態の急を察した、下宿の主婦らしい彼女の作りごとだったのだ。これで日本人の出鼻を挫《くじ》こうとしたのである。彼女の計は見事|的《まと》に当って、日本人は蒼白な顔に苦笑を浮べたきり黙り込んだ。けれども、主婦が驚いたことには、この策は、結果から見て反対の効果を挙げただけだった。と言うのは、単に母親と違った観方《みかた》を持っていることを示すために、急に恋を感じた気になった娘は、いきなりその場で、日本人の首に腕を廻して接吻してしまったからだ。二人は母親と研究を捨てて、幸福と一しょに英吉利《イギリス》海峡を渡った。食うや食わずで困り切っている彼ら夫妻に、僕らは巴里《パリー》で会って識《し》っている。
 異人種間の結婚に関するロジェル・エ・ギャレの意見を叩くために、私は特にこの挿話を持ち出したのだ。ところが、このなかで彼の興味を惹いたのは、最後の「何事につけても母親と異《ちが》った意見を持っていて自分のしたいとおりにする大戦後の娘」という一項に過ぎなかったから、私としては、すっかりこの目算が外れたわけだけれど。
 彼は語った。
 彼の友人に、倫敦《ロンドン》で開業している医者がある。やはり生れは希臘《ギリシャ》だが、今は英吉利に帰化していて、まだ若いにも係わらず、相当腕があるらしく、その病家の多くは、いわゆる社交界と呼ばれる階級に属している。
 いぎりすでは、WEEK・ENDを騒ぐ。
 土曜の正午から月曜の朝へかけて、誰もかれも田舎へ出かける。倫敦の周囲などには、海岸に、テムズの流域に、この小旅行の土地が無数に散在していて、或いは別荘へ、ホテルへ、またはキャンプに、人は義務のようにして泊りに行く。郊外に近い家の往来に面した部屋なんかにいると、土曜日曜は、ゴルフ道具・小鞄等を満載してしっきり[#「しっきり」に傍点]なしに流れる週末自動車の爆音で夜も眠れないくらいだ。
 この週末旅行《ウィイキ・エンド》のなかで最も上等《クラシイ》なのが、country home へ招いたり招かれたりして、宴会・舞踏・カアド・テニスのパアティを連日連夜ぶっつづける種類である。何しろ爛熟し切った物質文明を無制限に享楽する時代と場処のことだ。しかもそれが大掛りな私遊《プライヴェシイ》なんだから、そのいかにでかだん[#「でかだん」に傍点]なものであるかは、あの有名な petting party なんかという途轍《とてつ》もない性的|乱痴気《ハラバルウ》が公然と行われている事実からでも、容易に想像されよう。そもそも、このペテング遊びなるものは――となると第一、傍道《わきみち》に
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