る。しかし、それでも私は、彼がオスロかどこか北方の首府に仕事と地位を持っている希臘《ギリシャ》の若い海軍武官であったことも、いつも小さな秤《はかり》を携帯していて、それで注意深くフィリップ・モウリスの上等の刻み煙草を計って、自分で混ぜて、晩餐後のヴェランダで零下七度の外気へゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]と蒼い煙りを吹き出す習慣のあったことも、例の大陸朝飯を極度に排斥して、BEEFEXと焼き林檎と純白の食卓布《テーブルかけ》に可笑《おか》しいほど固執していたことも、趣味として、部屋では深紅のガウンを着ていたことも、読んでいたバルビュスの作品よりも、実を言うと、巴里《パリー》版ルイ・キャヴォの絵入好色本のほうが好きらしかったことも、すべての犬をこわがって狆《ちん》に対しても虚勢を張ったことも、英吉利《イギリス》の総選挙を予想して各政党の綿密な得票表を作っていたことも、その一々に関して、食後から就寝までの数時間を消すに足る詳細な説明を用意していたことも、それから、これはたびたび言ったが、半東洋風の漆黒の頭髪を、ロジェル・エ・ギャレ会社製の煉香油《ねりこうゆ》で海水浴用|護謨《ごむ》帽子のように固めていたことも――だが、彼が、外見を急造して、あのオテル・ボオ・リヴァジュへ乗り込んで来ていた巴里の理髪師ではなかったと、誰が保証し得る?
そして、あのナタリイ・ケニンガムは、一年中のお給金を溜めてそれで着物を買って来た、名家の令嬢こと実は、倫敦《ロンドン》の一マニキュア・ガアルではなかったか――と、こういう、これは僕の想像である。
が、物語りの結末から言って、ここはこの二人に、どうしてもそうあってもらわなければうそ[#「うそ」に傍点]だと僕は思うんだが、君、君の考えはどうです?
私たちも、間もなく白い謝肉祭《カーニヴァル》を逃れて、安堵と一しょに英吉利《イギリス》海峡を渡った。
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Was it a dream ?
Say, was it a dream ?
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倫敦《ロンドン》には、アウモンズの花が平凡に咲いて、WEEK・ENDの自動車の流れが途切れもなく続いている。
MR・ウインストン・チャアチルは、お茶の税を撤廃して、その減収を、競馬賭金仲人《ブック・メエカアス》の電話へ年四十|磅《ポンド》の増税を課することによって、
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