》の扣鈕《ボタン》を突つき合って、大笑いした。
 汽車が、停電中のヴァンテミイユを見棄てた。雪の帽子をかぶった山頂が、仏蘭西《フランス》の空に吸収された。車体が軋《きし》んで、その隙間から、水の香《かおり》が流れ込んで来た。それによって、私達は、また地中海が私たちを追跡しているのであることを知った。
 ジェノアは、真夜中に擦過するに相違ない。ルセアニア人は、巴里《パリー》ラプレ商店製の印のある靴を脱いで、その茶絹《ちゃぎぬ》に包まれた、バブイノ街の石膏細工のような恰好の好い足で、車室の深紅の絨毯を撫でた。

     2

 車輪とレイルとの摩擦による火気が、鉄材を伝わって、上って来るのかも知れなかった。室内は、莫迦げて暑かった。そのために窓の硝子《ガラス》が膨脹して、白い汗を流した。で、私達は相談して、入口の扉《ドア》を開け放して置くことに合意した。
 恐ろしい転轍の技能だった。その度《た》びに、列車は何|米《メートル》かを飛行した。窓掛けが散乱した。衣裳鞄が踊った。脱いであるルセアニア人の靴が、ひとりでに歩き出した。私達は、空気を抱擁しようとして、何度か失敗した。
 鈍い音を立てて
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