春の煙りが、カラカラ浴場跡の雑草のように、生々《いきいき》と沸き上るのを見た。
 ゴンドラを繋ぐ、理髪屋《とこや》の標柱のような彩色棒の影が、水の上で、伸びたり縮んだり、千切《ちぎ》れたり附着したりして、一日遊んでいた。
 裏町では、毎日、窓から窓へ、夥しい洗濯物の陳列会が開催された。
 泥柳が、岸に堵列して、晴天を祝っていた。
 私は、|溜息の橋《ブリッジ・オヴ・サイ》の下に、ゴンドラを流して、ヴェニス市民の全生活を、そこの石垣の根に眺めて暮らした。ヴェニス市民の全生活が、その、赤土《あかつち》沼のような水の表面を、ゆるく旋廻して通り過ぎつつあったのだ。それは、古靴の片っぽ、破れた洋傘《こうもり》、果物の皮、死んだ箒《ほうき》、首のない人形、去年の雑誌、無生物になった仔猫など、すべて、この町の春の支度に用のないものばかりだった。
 こうして、一九二九年の春は、長靴から立ち昇っていた。
 が、このヴェニスのホテルの酒場で、私は、ルセアニアの商人に化けて、密かに這入り込んだ「|黄色い嘴《ベッコ・ジャロ》」の若い論説部員が、羅馬《ローマ》へ着くと同時に、逮捕されたことを聞いた。彼は、前夜か
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