は税関である。
 税関の役人は、貝殻のような眼をして私を白眼《にら》んだ。そうすることが彼の仕事なのだ。私は、用意の粉末微笑を取り出して、彼の上に振りかけた。無事に通関したとき、そばの亜米利加《アメリカ》の老婆が私にささやいた。
『伊太利人は、同じ拉丁《ラテン》系民族のなかでも、他人の所有物に対してあんまり興味を感じないほうに属します。これは非常にいいことです。』
 停電はいつまでも続いた。私は、手探りで廊下を進んだ。そして、向うから黒い影が来るごとに、接吻するほど頬を近づけて、両替所のありかを訊いた。が、彼らはみなこの辺の農民らしく、モンパルナスの珈琲《コーヒー》店で仕上げを済ましたはずの私の仏蘭西《フランス》語は、彼等には通じそうもなかった。その上、停電と乗換と出入国の煩瑣《はんさ》な手続とが、みんなをすっかり逆上させていて、誰も私のために足を停めようとするものはなかった。しかし、両替所は、その二本の蝋燭《ろうそく》の灯りで、直ぐに私の前に浮かび上った。何かを、多分この停電を、怒ってるらしい若い女の冷淡な手が、私の法《フラン》を取り上げて、不思議な伊太利《イタリー》金のリラを抛り出
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