は、いくら私が注意して離して置いても、五分もすると、汽車の動揺に乗じて革の上を滑って行って、しきりにルセアニア人の香水壜に接吻しては、恋をささやいていた。が、この事実に気が付いたのは、私だけらしかった。で、私は黙って、二つを放任することにした。仏蘭西《フランス》語の文法から言えば、煤煙臭い大陸時間表は男性で、香水は、もちろん女性に相違なかったから。
 そのほか、私の正面には、ルセアニア人の羸弱《フラジル》な眼鼻立ちがあった。彼は、頸《くび》へ青い血管を巻いて、蓴菜《じゅんさい》のような指を組んでいた。そして、国際裸体婦人同盟員の耳へ、訳の解らない口笛を吹きつけていた。
 私が、視線を移動すると、今度はその尖端に、アストラカンの間から電灯へ微笑している彼女の胸部が、ぶら下った。光線は、何度反撥されても、露出している彼女の部分を愛撫しようと試みた。それは、酔った好色紳士のように、しつこかった。
 とうとうしまいに、我慢し切れなくなって、彼女は、外套を脱ぐと言い出した。そして、その弁解として、この部屋は熱帯性の怪物であると論断した。実際、室内は、万国寝台会社の心づくしのために、まるで赤道下の
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