ファシスト政府の鋳造したもので、裏に、ベニイの言葉と伝えられる、こんなモトウが迎彫ってあります――めりよ・びいぶる・うん・じょるの・だ・れおね・け・つぇんと・あに・だ・ぺこら――羊として百年生きるよりも獅子として一日生きたほうが増しだ。何という、腕力的な野心でしょう! 何という旺盛な積極的人生観! しかし、すこし非科学的なようですね。すくなくとも、こういう英雄主義は、現代のものではありません。文句自身は、ベニイ個人の場合に限って、大出来でしょう。が、貨幣は、その性質として、誰の手にでも渡るものです。そして、この叱咤《しった》は、羊のように弱い人にとっては、すこしばかり強過ぎるのです。つまり、あまり露骨にファシスト的だというので、それは、一般に評判の好《よ》くない新貨ですが、あなた方は、どうお考えですか。』
『私は、勇敢で面白いと思います。』
『それは、あなたが青年だからです。いかがですか。また、ベニイに会ってみたくはなりませんか。ベニイに面会するためには絹高帽《シルク・ハット》と、モウニング・コウトと、閣下《ユア・エキセレンシイ》という敬語と、些少の礼譲と、多分の微笑をさえ用意して行けばいいのです。しかし、あなたは、いつか日本の代議士がしたように、特にそのため、前の晩にホテルの寝台で読んで来た、政治哲学めいた翻訳書の知識から、生硬な二、三の問題を出して、彼を苦笑させたりしてはなりません。ベニイは、彼の有名なる額部を光らせるばかりで、決して答えようとはしないでしょう。そういう議論にたいして黙っている時、彼は、ことのほか政治哲学の教授のように博識に見えるのです。そして、彼も、そのことをよく知っているのです。しかし、あなたも、絹高帽《シルク・ハット》の扱いにだけは、相当慣れるための下稽古が要ることでしょう。あの帽子は、置き場所に困る帽子です。だから、いよいよベニイの部屋へ通されて、あの眼と口が、あなたの前に立った時、あなたは、まず、あなたの絹高帽《シルク・ハット》をどこへ安置したものかと、魔誤々々《まごまご》するかも知れないのです。そして、狼狼《ろうばい》の極、秘書官に手渡ししようとしたり、或る亜米利加《アメリカ》人は、白手袋を投げ込んだまま、それをベニイに突き出して、持たせようとさえしました。が、これらは、すべて可哀そうな誤りです。あなたは、今あなたの一挙一動の上に、あの世界的に知られた、ベニイの白い視線があることを、忘れてはならないのです。そして、絹高帽《シルク・ハット》の置き場処は、所有者の頭のうえか、椅子に掛けた姿勢ならば、その膝の上といつも決まっているものです。で、絹高帽《シルク・ハット》を膝に立てると直ぐ、あなたは面談を開始するのですが、この場合、あなたは、先刻私が申し上げたような質問集で、すこしでも、ベニイの人間味を探り出そうなどと望んではなりません。彼は、あらゆる形式の面接にすっかり慣れ切っていて、どんなことがあっても、自分の影をさえ瞥見させるようなへま[#「へま」に傍点]はしないでしょう。従って、あなたに残された唯一の活動の余地は、室内を見廻して彼の事務家振りを推測することであり、灰皿の吸殻から彼の愛用する煙草を知ることであり、その一本を訪問記念としてこっそり[#「こっそり」に傍点]持って来るために、手を伸ばす機会を探すことであり、読んでいる本を突き留めるには、彼を押し退《の》けて、あなた自身、卓子《テーブル》の上下から抽斗《ひきだ》しを、根気よく捜索しなければなりますまい。何と、華やかな面会ではありませんか。』
『非常に面白そうなお話ですが、私は、残念ながら、やはり、彼を黙殺することに決めています。』
『そして、あなたは、仏蘭西《フランス》語か英語か伊太利《イタリー》語で、彼と、その二、三日の天気の批評をして、モウニングの尻尾を皺《しわ》だらけにして帰るのです。写真は、幾らでもくれます。署名《サイン》もします。最初に較《くら》べると、この頃は、そのほうが重々しいというので、すこし出し渋りますが、それでも、ベニイの机は、訪問者に持たして出す自分の写真で一ぱいで、その上、六人の写真師が、後からあとからと、日夜その複製に追われ続けています。署名用の万年筆に署名用インクを満たすためには、いつも、三人の秘書官が掛かり通しの有様です。そして、帰りがけに、あなたは、各国人を包んだモウニング・コウトの長列が、手に手に、官房主事の発行した、大型封筒の面会許可証を、切符のように握って、クイリナアレ政庁の長廊下に、忍耐深く待っているのを見かけるでしょう。』
『いよいよ私は、ベニイに面会を申込むまいという私の決心に、感謝しなければならない。しかし、あなたは、どうしてそう彼のことを知っているのです。』
『知る必要があるのです。彼は、私の敵
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