、全体をすこし粟立《あわだ》たせているように、私は観察した。
『ポケットがなくて、不便です。』彼女が打ち明けた。『が、靴下を吊る仕掛けのほか、私はいつもこれで、そして、誰よりも一番好い着物を着ているつもりです。』
 私達は、あわてて賛成した。彼女は、もう一度、アストラカンの前を合わせて、濡れた気体か何ぞのように、ルセアニア人の寝台の端に固くなった。それが彼女を、急に疲れて見せた。
『あなた方が、私のこの服装を気にするほど、反動的でなければいいがと思います。』
 私は、第一、そうして外套さえ掻《か》き合わせていれば、絶対に私達の眼に入りっこないし、仮りに外套を脱いだところで、私も、私の同室者も、そんな小さなことからは解放されているからと言って、彼女を安心させた。そうすると彼女は、まだ自分の服装のことを考えて、それを話題に上《のぼ》すような仕方は、まるで今までの普通の女と同じで、同盟員が目的にしている若々しい反逆――実は、それは、単なる純理論の実行に過ぎないのだが――には、何らならないと反省して、淑《しと》やかに自分を責めた。それから彼女は、耳の上に挟んでいた喫《の》みかけの葉巻をくわえて、ううう[#「ううう」に傍点]と唸《うな》りながら、私達に燐寸《マッチ》を催促するために、それを擦《す》る手真似をした。

     3

 トラモンタナと呼ばれる狂暴なアルプス颪《おろし》が、窓の外に汽車の轟音と競争して、私達に、今夜は暗いばかりでなく、恐らくは、粉雪を含んで寒いのであろうことを、間断なく報《し》らせていた。
 しかし、私達のコンペアメントは、感謝すべき装置で一ぱいだった。そこにはまず、万国寝台会社が、旅行好きな公衆と同業者とに誇る、そして誇っていい、照明と煖※[#「火+房」、203−1]《だんぼう》と装飾とが、好意ある経営をもって往き届いていた。
 模様入りの人造革を張り詰めた室内の壁には、白樺材を真似た塗料が被《き》せてあった。鋲《びょう》が、掃除婦の忠実を説明して、光っていた。窓では、眼科医の色盲検査布のようにいろいろに見える、が、その実ただの緑いろの厚いカアテンが、私達の賞美を得ようとして、大げさに揺れていた。その下に、折曲げ式の、皮張りの板が立てられて、机の代用をしていた。それは、ルセアニア人の旅行用香水壜と、私のクック版大陸時間表とを支えていた。大陸時間表は、いくら私が注意して離して置いても、五分もすると、汽車の動揺に乗じて革の上を滑って行って、しきりにルセアニア人の香水壜に接吻しては、恋をささやいていた。が、この事実に気が付いたのは、私だけらしかった。で、私は黙って、二つを放任することにした。仏蘭西《フランス》語の文法から言えば、煤煙臭い大陸時間表は男性で、香水は、もちろん女性に相違なかったから。
 そのほか、私の正面には、ルセアニア人の羸弱《フラジル》な眼鼻立ちがあった。彼は、頸《くび》へ青い血管を巻いて、蓴菜《じゅんさい》のような指を組んでいた。そして、国際裸体婦人同盟員の耳へ、訳の解らない口笛を吹きつけていた。
 私が、視線を移動すると、今度はその尖端に、アストラカンの間から電灯へ微笑している彼女の胸部が、ぶら下った。光線は、何度反撥されても、露出している彼女の部分を愛撫しようと試みた。それは、酔った好色紳士のように、しつこかった。
 とうとうしまいに、我慢し切れなくなって、彼女は、外套を脱ぐと言い出した。そして、その弁解として、この部屋は熱帯性の怪物であると論断した。実際、室内は、万国寝台会社の心づくしのために、まるで赤道下の貨物船の釜前《ダウン・ビロウ》のように暑かったのだ。が、この、彼女に外套を脱がれることは、私達の一番恐れているところだった。そこで、私は、ルセアニア人と素早く無言の評議を交したのち、二人を代表して、彼女に申し入れたのである。
『私たちは、もう暫くの間、表面古風な女としてのあなたを眺めていたいと思うのですが――。』
『なぜでしょう。』
 アストラカンを肩まで辷《すべ》らせたまま、彼女が反問した。
『こんなに理解のある方々とだけ、排他的に同席出来るということは、私にとって珍しい名誉です。私は自分の健全な自由さを極度に享楽出来る、こういう好機会を逃がしたくありません。』
『御尤《ごもっと》もです。しかし、ほんとのことを言うと、その、あなたの健全な自由に価値するほどの、教養も、準備も、自信も、まだ私達には出来ていないのです。私は決して、伝統という幽霊に屈服しているのではありません。ただ、あなた方の採用した新しい生活様式と、その刺戟には、まだすこしばかり慣れていないというだけのことなのです。言い換えれば、あなたの「服装《コスチュウム》」の前に、私達は、私たち自身が恐ろしいのです。お解りになりまし
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