、戸口が人を吸い込んだ。その人は、激しく投げ出された身体《からだ》が、機会的にルセアニア人の寝台を打って、その拍子に彼と並んで、そうして私と向き合って、上手に腰かけたので、やっと倒れることから自分を防いだ。それは、指を鳴らしたような出来事だった。私は、ルセアニア人へ話しかけようとしていた言葉を、唇の上で揉《も》み消したまま、この不可抗力による闖入者《ちんにゅうしゃ》を観察《スタディ》した。
 彼女は、アストラカンの長い外套を着て、空想的な創造になる黒のフェルト帽をかぶっていた。顔は、プラタナスの落葉の吹きつける百貨店の飾窓《ウインド》に、春の先駆を着て片手を上げている茶褐色の衣裳人形のように、どこまでも人工的な印象だった。眉は、細い鉛筆の一線だった。大きな口が、官能の門を閉ざしていた。眼は、熟さない林檎《りんご》の皮の青さだった。それが、汽車の震動を誇張して、二つの驚愕の窓のように見ひらかれていた。
 彼女は、咽喉《のど》の奥から笑いを転がし出して、含嗽《うがい》をした。そして急に、執事のような真面目な顔を作った。それから、この椿事《ちんじ》を説明すべく、両方の肘《ひじ》を左右へ振った。
『何て揺れる汽車でしょう!』
 こうして彼女の全身は、私達のコンパアトメントのものとなったのだ。それなのに、彼女は、そこにそうして存在を延長していていいという私たちの許可を、沈黙の眼で促しているのである――。
 私は、必要を認めて、同室者の意見をも兼ねた。
『私達は、すこし神経質なのです。お互いに鼻を見ては笑い、つぎに悲しそうに考え込んで、果ては寝台を相手に大声に喚《わめ》くだけのことです。居らしっても、面白いことはあるまいと思います。』
『私は、このままここにいていいのでしょうか。それとも、もう一度、あの車廊の遊動木を渡って、自分の部屋まで旅行しなければならないのでしょうか。』
『御随意に。』
 私はうしろへ反《そ》って、両脚をぶらぶらさせた。そのほうが、汽車の速力を助けるように思えたからだ。
『しかし、ご覧のとおり、私の同室者は、もう靴を脱いでしまって、靴下だけで床を踏んでいるのです。それさえお差支《さしつかえ》なければ――。』
 すると、彼女の表情を、私への軽侮が走った。この私の紳士性は、彼女の憐愍《れんびん》を買うに充分だったのだ。
『何という興味ある話題でしょう!』
 彼
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