の端《はず》れの、第二回|万国自動車展覧会会場《インテルナツォナアレ・アウトモビイレ・サロネ》へ来るように、と言うのだ。
 私は、不思議にも、若いルセアニア人のことなぞは、すっかり忘れていた。そして、敵地にいる彼女から、こうして私に、こんな命令的な呼出しが来るのは、何だか当然至極のことのように思えた。私は、それを早晩来べきものとして、予期していたような気さえした。
 間もなく、羅馬《ローマ》の雑沓が私のタキシの左右に後退していた。
 到るところに、噴水と憲兵が立っていた。彫刻と、大石柱の並立とがあった。史的色調と、民族の新しい厳則《デサイプリン》とが、どこの露路からも、二階の窓からも、晴々しく覗いていた。
 料理店では、食慾がマカロニを吸い込んでいた。それが、私を見て、手を振った。
 英吉利《イギリス》の小都会からの観光団が、案内者の雄弁に引率されて、国民経済省の建物を見上げていた。それを、子供と写真帖《アルバム》売りが、遠巻きにしていた。
 軍楽隊が来た。
 黒装束に、腰の革帯に短刀を一本挟んだきりの、フュウメ決死隊の一人が、軍旗といっしょに、先頭だった。それに続いて、青灰色の軍服の行列が、重い靴で、鋪道を鳴らした。
 私のタキシは、徐行した。運転手は、右腕を真直ぐに伸ばして、前方へ斜め上に突き出す礼をした。これは、昔|羅馬《ローマ》武士が、出陣に際して、王と神の前に戦勝を誓った、儀礼の型であり、そして、今は、ムッソリニと彼の仲間が、公式に流行《はや》らせているいわゆる「羅馬挨拶《サルタ・ロマノ》」なのだ。
 私の運転手は、ファシストだった。が、いまこの街上に、何とファシストの多いことよ! 老人の手、青年の手、労働者の手、警官の手、通行人の手。
 青物屋は、野菜の車を停めて手を上げ、その野菜の山の上から、青物屋の伜《せがれ》が手を上げ、軒並みの商店からは、主人と店員が走り出て手を上げ、そして、電車の窓からも自動車の中からも、何本となく手が上がっている。軍旗は、この、手の森林を潜《くぐ》って、消えた。
 これが、現在の伊太利《イタリー》の常用礼式なのだ。官庁ででも倶楽部ででも、劇場ででもホテルででも、家庭ででも、こうして手を上げ合っている人々を、見るであろう。羅馬《ローマ》は、いや、伊太利《イタリー》は、このとおりファシストで一ぱいである。ファシストにあらずんば、人
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