ん。ただ、恋愛の享楽が、恋人の間にだけ許されるのと同じように、本能の処理を享楽するにも、そこには、一つの社会的特権団体があります。それは、地球を押している人達です。時代の進展に意識的に関与して、他のことはどうでもいい、つまり、私たち最左翼の知識群です。が、誤解なさらないで下さい。私は、年中人に誤解され通していますが、今の私は、こうして、僅《わず》かに、本能の処理から来る悪戯感を享楽しているだけのことなのです。ですから、この方がどう思おうと私の知ったことではありませんし、そこに、もう一人の紳士がいらっしゃればこそ、私も、自分を信用して、安心してこの方の膝に腰かけていられる訳です。が、実は、問題はそんな末梢的なこせではないのです。』
『何か、私達の眼に見えない、恐るべき突発事でもあったのでしょうか。それが、あなたに電灯を消さして、席を換えさせたと言ったような――。』
『そうです。私は、大変なことを思い出したのです。まず、あなたは、いま、国外に追放されている反ファシストの連中が、続々|伊太利《イタリー》に潜入しつつある事実を、思わなければなりません。彼らは、この三月に行われる総選挙を攪乱《かくらん》して、それを機会に、ベニイ一派に痛手を負わそうと勇み立っているのです。そのために、この数週間、国境の警戒は、あの通り殊に厳重を極めているのですが、ここに、驚くべき一事は、この列車で、あの、ベニイが一番怖がっている、巴里《パリー》の「黄嘴紙《ベッコ・ジャロ》」の論説部員の一人が、アンテ・ファシズム宣伝の目的で、決死の羅馬《ローマ》入りをしようとしていることです。それは、その筋には知れています。だから、この汽車の乗客の半ばは、政府の密偵であると、私は断定するのです。しかし、その勇敢な「|黄色い嘴《ベッコ・ジャロ》」は、名前も顔も、ちゃんと解っていると言いますから、途中で暗殺されずに、ともかく無事に羅馬へ着くことが出来れば、それだけでも、彼または彼女にとって、それは、非常な成功でしょう。が、いま私は、その冒険者の上に、瞬間の危機が迫っているのを嗅ぎます。こう申し上げれば、なぜ私が、突然コンパアトメントを暗くして、この紳士の膝に保護を求めたかが、お解りでしょう。』
『まさか、あなたが、国際裸体婦人同盟員である一方、その、命知らずな「|黄色い嘴《ベッコ・ジャロ》」の論説部員なのだと、仰言
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