メリカ》から来た、下着の旅行販売人《トラヴェリング・セイルスマン》にも、インクの流れるように能弁な万年筆の行商人にも! それでも、はじめのうちは、人に自分を見せることの政策的な必要と利益から、今よりももっと多量に、俳優的態度で引見することを好んだものです。近頃は、それ程でもありませんが、今は外交関係から、殊に亜米利加人に盛んに会いつつあるということです。』
『彼は、亜米利加へ移民を送ることを止《よ》して、そのかわり、仏蘭西《フランス》との国境地方あたりへ国内植民を始めているそうではありませんか。そのために、仏蘭西が、すこし警戒し出したというような噂も聞きましたが――。』
『ブルジョア国家という、現在の人類生活の単位は、その人類である私達の日常生活には、何らの交渉もない事件のために、しじゅう忙がしがってばかりいるのが、その特性です。』
『法王庁とムッソリニは?』
『あなたは、いつの間にか、私を「訪問」していますね。結構です。彼は、三月の総選挙に、加徒力《カトリック》教徒の人気が入要なはずですから、悦《よろこ》んで、その前に、ヴァテカンと伊太利《イタリー》との握手の世話役に立つことでしょう。』
『皇帝と彼とは?』
『この間伝えられた、あれは、全然嘘報でした。巴里《パリー》で発行される、反ファッシズム新聞「|黄色い嘴《ベッコ・ジャロ》」紙の投げた逆宣伝の一つに過ぎません。』
 ここで、彼女は、私達からの、これ以上の質問を拒否するために、ジャズのカスタネットのように細かく笑って、両腕を抛り上げた。
 脂肪が圧搾《あっさく》されて、肋骨の装飾が現れた。
『今まで私は、まるでナポリの案内人のように饒舌《しゃべ》って来ましたね。そして、私は、何という不注意な女でしたろう! ムッソリニ、ムッソリニと大きな声で言って、しかも、総選挙だの、黄嘴紙《ベッコ・ジャロ》だのと! 人が聞いたら、どうしましょう! それは、怖いものを知らない者のすることです。なぜなら、密偵は、空気のようにどこにでも這入り込んでいるからです。これはソヴィエト・ラシアとムッソリニ政府だけが、ほんとに世界的に誇り得る制度なのです。この汽車も、そういう密偵達をぎっしり満載していることでしょう。あなたが、その一人かも知れない! この方が、そうかも知れない! あの、先刻、寝台を作りましょうかと言って来た、不随意筋ばかりで出来
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