たか。お解りになりましたら、外套を脱ぐことだけは見合せて下さい。もし強いて脱ぐと仰言《おっしゃ》るんでしたら、私とこの名前は知りませんが、私の同室者は、きっと、私達の大嫌いな徳律の命令に服従して、寝台車掌《コントロルウ》を呼んで、あなたを、あなたの車室まで送り届けなければならないことになるでしょう。それは、実に不愉快な事業で、私達も、その必要に迫られたくはないのです。』
 この駁論が作用して、一時彼女に、外套をぬぐことを中止させたらしかった。
 すると、そこへ、いま私が引用したばかりの寝台車掌が、飲酒の形跡と一しょに、顔を出した。もうこの部屋が最後だから、寝台を作らせてくれと言うのだ。
 私達は、眼で合議した。そして、私が答えた。
『困ったことには、私はまだちっとも眠くないのだ。』
『それからここに一つの告白がある。』
 ルセアニア人が続いた。
『この頃、頑固な不眠症が取っ憑《つ》いていて、僕を離れないのです。』
『そう来なければうそです。』彼女がアストラカンの中から叫んだ。『多分私たちは、羅馬《ローマ》へ着くまでのこの一晩を、自由に語り明かして使うことでしょう。共通の新しい思想に昂奮している私達にとって、寝て過ごすべくあまりに惜しい今夜ですから――。』
 車掌は、勝手にと言うように、帽子へ手をやって、廊下へ退いた。車扉《ドア》が流れて、音とともに外部を遮断した。
 彼女は、私達に向き直った。
『私は、多くの愉快な話材を、旅行用として、身体《からだ》のあちこちに隠しているのです。』
 こう言って、彼女は立ち上った。
『何という常識のない暑さ! 私の判断では、確かにこの汽車は機関の余剰スチイムを車内へ向けて濫費しています。』
 そうして、彼女は、私達が抗議するひまもなく、今まで彼女を、外見上ほかの女と同種に呈示《プレゼント》していた、その唯一のアストラカン外套の扮装を、とうとう見事に拒絶してしまったのである。
 私たちは、恥じ入った。ルセアニア人は、自分の神経と感覚を保護するために、出来るだけこの国際裸体婦人同盟から遠ざかって、窓ぎわの壁に密着した。彼は、溜息を吐《つ》いた。
 無警告に、裸体の全身が上へ伸びた。そして、彼女の手が、壁のスイッチに触れた。それが、もう一つ、万国寝台会社の到れり尽せりの魔術的設備となって現われた。車室の電灯が、緑色に一変したのだ。天井に、
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