は税関である。
税関の役人は、貝殻のような眼をして私を白眼《にら》んだ。そうすることが彼の仕事なのだ。私は、用意の粉末微笑を取り出して、彼の上に振りかけた。無事に通関したとき、そばの亜米利加《アメリカ》の老婆が私にささやいた。
『伊太利人は、同じ拉丁《ラテン》系民族のなかでも、他人の所有物に対してあんまり興味を感じないほうに属します。これは非常にいいことです。』
停電はいつまでも続いた。私は、手探りで廊下を進んだ。そして、向うから黒い影が来るごとに、接吻するほど頬を近づけて、両替所のありかを訊いた。が、彼らはみなこの辺の農民らしく、モンパルナスの珈琲《コーヒー》店で仕上げを済ましたはずの私の仏蘭西《フランス》語は、彼等には通じそうもなかった。その上、停電と乗換と出入国の煩瑣《はんさ》な手続とが、みんなをすっかり逆上させていて、誰も私のために足を停めようとするものはなかった。しかし、両替所は、その二本の蝋燭《ろうそく》の灯りで、直ぐに私の前に浮かび上った。何かを、多分この停電を、怒ってるらしい若い女の冷淡な手が、私の法《フラン》を取り上げて、不思議な伊太利《イタリー》金のリラを抛り出した。
食堂《バフェ》には、僧院のにおいが冷たかった。が、それは、卓上の花挿しに立てた蝋燭の揺らぎと、熱心に、はじめてのマカロニと闘う赤い横顔と、お腹だけ白いフィジの水壜のためだったかも知れない。午後から、地中海の海岸線を私と同車して来た人々が、料理の湯気のなかから私に笑いかけていた。しかし、彼らと私との間には、ごく少数の了解と、多分の動物的好意とがあるだけだった。なぜなら、すこしでも私の話せる言語は、彼らの耳には、すべて単なる音響としかひびかなかったし、また、どんなに熱烈な彼らの主張も討論も、私にとっては音楽的価値以外の何ものでもなかったから。で、直ぐに私たちは、お互いに解らせようとする努力を諦めてしまった。けれど、私と彼らは、しじゅう眼を見合わせて、その眼を笑わせることによって、会話以上の社交的効果を保って同車して来たのだった。私達は、そこに満足な友情をさえ汲み取ることに成功していた。
私は、マントンで、巴里《パリー》風の洒落た服装と、竜涎香《アンバア》のにおいとを私の車室へ運び入れて、それから私も、彼とだけずっと饒舌《しゃべ》りこんで来た、若いルセアニアの商人が、私を、自分の
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