サこの自動車には、どう見ても富豪の自家用としか思えないすべての装飾と設備が行き届いていた。支配人が私たちを案内した陳列場《ショウ・ルウム》には、まるでエトワルヘ向って右側のシャンゼリゼの窓のように、高慢な感情の機械動物がすっかりお化粧を済まして思い思いの媚態《コケトリイ》を凝らしていた。それはちょうど貴族の女たちによって育てられて来た犬の展覧会と言った、高価な女性的な感じだった。その、みどり色の垂幕を背景にあちこちに近代的光輝を放っている新鋭の自動車のあいだを、私達は全員堵列礼に臨む東洋艦隊の艦長夫妻のように見て廻った。
アルプス国境防備兵のようにしっかりした足許と精悍な長身とを持つ伊太利《イタリー》製のランチャ。
麒麟《きりん》のように清楚なエスパノ・スイザ。
撫でながら走らせることを必要とする誇りの高いワザン。
それから何もかも承知している第一人者の鷹揚な微笑を忘れないロウルス・ロイス。
私達は彼女の好みで鼻の尖《とが》ったランチャを選んだ。三週間の契約だった。それはスポウツ・カアのように背の低い、真っ黄いろに装った稀代《きだい》の伊達者だった。黒と黄の配合はこの週間の流行だと言って、彼女は黒の制服をつけた真面目顔の運転手を悦《よろこ》んだ。私が名を訊いたら彼は「第十九番《ヌメロ・デズヌウフ》」とだけ答えた。こうして19が彼の呼称《よびな》になったのだ。そしてこの黄瑪瑙《きめのう》の巻煙草《シガレット》パイプのように粋《シック》なランチャが、これから三週間私たちの自用車としてモンテ・カアロ公園《ジャルダン》の小径《こみち》に park されるであろうし、19は三週間のあいだ私達が「ほんとに彼男《あれ》だけは私たちが掘り出した宝石《ジュエル》です」と言い得る、身綺麗《みぎれい》で小気《こき》の利いた“My Good Man”となることであろう。
『僕らはこの車で、君に運転させて真直ぐ巴里《パリー》からドライヴして来た気でこれからモンテ・キャアロへ乗り込むんだから、君も万事そのつもりで。』
私が言った。妻がつけ足した。
『そうしてムシュウ19はあたし達んところに三年――いいえ、足掛《あしかけ》四年働いている忠実な忠実な運転手さんなの。この頃の召使いは腰が浮いてて困るんですけれど、あなただけは別なんですって。』
『そうだ。是非そういう風に考えていてもらいたいな。』
私が激励した。すると19はにこり[#「にこり」に傍点]ともせずに答えるのだった。
『はい。皆さまがそう仰言《おっしゃ》いますので、すっかり承知しております。』
で、いきなり地面がうしろへ滑り出した。
ランチャの後部席には巴里《パリー》一流の鞄店で買い集めて来た私たちのスウツケイスが晴天の朝のカプリ島のようにかがやいていた。そのなかでも Claridge の館表《ステッカア》だけを一枚貼った深紅の女持ち帽子箱と、二人のゴルフ棒《クラブ》を差した縞ズックの袋とが人眼を引いてるようだった。が、私達の誇りはそれだけではなかった。妻はわざと帽子をとって、水玉模様のスカアフと一しょに短い断髪が風に流れるのに任せた。私は彼女の足を蜥蜴皮《リザア》の靴と一しょに自動車用毛布《モウタア・ラグ》で包んでから、私の自動車用革外套の襟を立てて、自動車用鳥打帽子の鍔《つば》を下げて、自動車用ブライアにダンヒルの自動車用|点火器《ライタア》で火をつけた。そしてうしろへ倚《よ》りかかった。外套の下に私は緑灰色のゴルフ服を着ていた、ゴルフ靴下の房も言うまでもなく緑灰色だった。彼女は厳選したアンサンブルのうえから大きな巻毛の自動車用コウトで埋めつくされていた。そして一分おきに自動車用|手提《てさげ》から自動車用鏡を出して薄飴《うすあめ》いろのKEVAの口紅をアプライしていた。19の黒い制服には金釦《きんぼたん》が重要性をつけていた。すべてが巴里《パリー》からドライヴして来た人に相応《ふさわ》しい「長い途《みち》に狐色になった荒《ラフ》さ」だった。私は彼女の肩に手を廻して、19がますます速力を踏んで一時間七十七|哩《マイル》するのを微笑によって黙許しておいた。
私達は高《アパ》コルニッシュ街道の行手にモンテ・カアロが出現するのを待っていた。
Monte Carlo !
モンテ・カアロだけは別だ!
これは地球に打ちこまれた蛇眼石《じゃがんせき》の釘《くぎ》みたいなものなのである。女悪魔のコンパクトに幽閉されていて、開けるとすっ[#「すっ」に傍点]と吹いてくる冷たい微風のような場処である。
このモンテ・カアロは太陽の下のどこよりも盛大な国際的|自由意思《ケア・フリイ》を唯一の価値として実行《プラクテス》しているのだ。その驚くべき原動力は、鉄片のかわりに黄金を引きよせる特殊装置の磁石にある。そこでは近代的に洗練された物質が――そして物質だけが――公認の王位に就いて二大陸の名士連《セレブレティス》を踊らせているのだ。どうしてここへ「自動車一台持って歩かない普通《カマン》の旅客」として汽車で着くことが出来よう! 停車場から来た人はホテルでも直ぐに二流の客と踏んでしまうに違いないのだ。それはこの愉快に軽跳な物質慾の環境への驚くべき冒涜でさえもあり得るのだから、しごく無理もないことだと私は自分に言いきかせた。そこでこうして自家用自動車を自家用運転手に運転させて巴里《パリー》からすっ[#「すっ」に傍点]飛ばして来たもののごとく見せかけてホテルの玄関へ乗りつける必要があったのだ。そしてそのためには、例《たと》え空っぽでも衣裳鞄の一つや二つは余計に持ち、ゴルフ道具と乗馬服だけはゴルフと乗馬に何らの関係なく、忘れることを許されないのである。これではじめてホテルも真剣に相手にしてくれるだろうし、私たちも「上品な自信」をもって周囲の華麗さに接することが出来るだろうし、誰とでもほほえみ交して最近のHITである芝居の評判を話題に上《のぼ》せられるだろうし、そうしてモンテ・カアロの中心に潜り込んでその柱石《キャプテン》たちと混合《ミキサア》し、彼らのあいだに流行するカクテルの秘密をさえも知り、彼等の愛好する冗句《ジョウク》に哄笑し、かれらの doings をDOすることが可能であろう。つまりこれから欧羅巴《ヨーロッパ》最前線の「|速い一団《ファスト・セット》」に私達も参加しようとしているのだ。Tra−la−la !
ホテルへはマルセイユから電報してある。
“Coming this evening. Mr. and Mrs. Tany.”
私は満足の眼でもう一度身辺を検査した。
この、私達とモンテ・カアロとを最も効果的に結びつけるために、私たちはその目的で取っておいた別経済の三分の一を今度の服装と持物と所謂《いわゆる》「|おもて見《フロウ卜・シャウ》」の全部へ新しく投資したのである。そしてこの瞬間の発明になるダンスのステップは、出て来る前にことごとくマスタアしたはずだ。しかも、私達のような人のためにひそかに存在しているあのアンティブの車庫を利用して、競馬馬のようにスマアトなこのランチャと、裁判官のように厳粛な「19」とを手に入れることに成功したではないか、何がほかに私達の Make−up に欠除しているというのだ?
『あ! どっかから犬を借りてくりゃ宜《よ》かった!』
私が叫んだ。彼女は非常に悲しそうな顔をした。
『犬? そうね。ペキニイスか何か――でも、もう遅いわ。駄目よ。いまになってそんなこと言っちゃあ――。』
私は、私たちの完全さに汚点をつけないために、犬のことはこれきり考えないことに決めた。そしてそう彼女に約束した。
コンダミンの小湾が私達を呑もうとして断崖の下に待ち構えていた。
ランチャは、それがランチャであるところの、すこしも速力をゆるめることなしにその難所を突破してコンダミンの湾を失望させた。
私たちのホテル入りは so far 美々《びび》しい成功だった。最初の美少年は彼女の帽子箱を、第二の美少年が彼女の化粧鞄を、第三の美少年は彼女のステッキを、第四の美少年は第一のスウツ・ケエスを、第五の美少年が第二のスウツ・ケエスを、第六の美少年は――とにかく第十一の美少年が私の眼鏡のサックを捧げて続くまで、じつに十一人のボウイが私達の背後《うしろ》に行列した。そのあいだ忠実な19は車扉《ドア》のそばに直立して帽子を脱《と》っていた。
大理石の階段のうえには支配人フリュウリ氏が出迎えていた。彼は手を揉《も》み首を曲げて習慣的に笑った。が、彼の頭脳は私たちの「状態《ナンバア》」と所属級を把握《サマップ》し、一刻も早く待遇の等別を確立しようと忙がしく働いていた。私は彼にファシスト風の真直ぐに腕を上げる挨拶をして、まず私たちがいかに方々を旅行して来た場慣れ者であるかを示した。それに対して彼は帝政時代の仏蘭西《フランス》外交官のように片手を胸に当てておじぎをする礼を返した。それは古風に優雅なものだった。そして彼は私たちのために特に部屋の用意が出来ていると言った。But then, この M.Fleury は巴里《パリー》リッツ・ホテルの支配人レイ氏、オテル・ロワヤル・オスマンのメラ氏、エドワアド七世ホテルのプラロン氏、オテル・ジョルジェのタレイル氏とともに大陸ホテル経営の五人男であることを私は以前から知っていた。
5
専売皮の靴のさきで星がギタノの舞踏を踊っていた。カスタネットはモナコの夜の海岸が鳴らしていたのだ。オテル・ドュ・パリとCASINOのあいだに、食卓布のように明るい灯火の小川と人々の笑い声があった。私と彼女は、理髪師のようなつめたいにおいを発散させながら礼装の肩を較《くら》べた。私には固い洋襟《カラア》が寒かった。
カフェ・ドュ・パリから音譜が走り出て来た。白絹を首へ巻いた紳士が、その白絹を外してシルクハットと一しょに入口の制服の男に渡してるのが芝居のように見えた。女たちは金銀のケエプをしっくりと身体《からだ》に引き締めて、まるで燐《りん》の鱗《うろこ》を持った不思議な魚のようだった。彼女らの夜会服の裾は快活に拡がっていて、そうして背《うし》ろの一部分は靴にまで長かった。流行は絶えず反覆するものであると賢人が言った。あれほど批評の声のやかましかった短袴《スカアト》時代はすでに過去へ流れて、世はスカアトだけがヴィクトリア朝へ返ったのだ。しかし、やはり膝頭の見える女もいた。が、今もいうとおり流行は絶えず繰りかえすものである。だからこれは、遅れているのではなくて、現下の長袴《ジョゼット》流行の一つ先を往ってるのだ。つまりこのほうが早いのだ。とは言え、その敵《ライヴァル》に当る長袴《ジョゼット》連中はそのまた短袴《スカアト》時代の次ぎに来るであろう長袴《ジョゼット》時代を生きているのかも知れなかった。すると、いまの短袴《スカアト》組はそれを通り過ぎたまたまた一つ未来の時期を掴んでいるのだと主張するのである。
賭博場《キャジノ》の建物は航空母艦のように平たく長かった。正面《ファサアド》に赤い満月が懸っていた。それは大型電気時計のように出来ていて、針が動いていた。
大玄関を這入ると、私たちはすぐ左手の広間へ行かなければならなかった。そこは一応入場者を審《しら》べて切符を発行するところだった。その部屋は合衆国高等法院のように出来ていて、ポウル・ボウの税関吏のような疑い深い、そしていつも突発事を待っている眼をした役員たちがとまり[#「とまり」に傍点]木の上に止まっていた。彼らは低声に出入りの女達の身体つきに関して際限のない冗談を交換するよりほか用もない様子だった。そこで私たちは旅行券の検査を受けた。役人は私達に入場を許可するかしないか長いこと相談したのち、はじめから解っていたとおりに、許可することに決定した。
私は網膜のなかで光線と色調とアリアン人種と、demi−mondaines の游弋《ゆうよく》隊とが衝突して散った。麺麭《パン》屋の仕事場のような温気のな
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング