宴刀tの規定だった。幾つもの台が整然と並んで、そのすべてが顔いろを変えた紳士淑女で一ぱいだった。肩から背中まで裸の夜会服《デコルテ》にタキシイドと燕尾服が重なり合って盤を覗いていた。長方形のルウレット台には緑いろの羅紗が敷き詰めてあった。これが歴史的に、そして物語的に有名な「モンテ・キャアロの緑の LURE」なのだ。この金銭の遊戯を司《つかさど》って、幾多の悲劇と喜劇が衝突するのを実験して来た証人である。卓子《テーブル》の中央は両側からくびれ[#「くびれ」に傍点]ていて、そこにふたりの取締人《クルピエ》―― Croupier が向い合って座を占める。その手元には出納の賭札《ブウルポア》が手ぎわよく積まれてある。二人のクルウピエの中間に廻転盤、それを挟んで左右に、線と数字の入った|賭け《ステイキ》面がふたつ続いている。人はぐるり[#「ぐるり」に傍点]とその両方を取りまいて、つまり一つの卓子《テーブル》で同じゲームが一時に二つ進行しているわけだ。クルウピエの一人は右側を支配し、他は左を処理する。客は両替《シャアンジュ》で換えて来た「灰色の石鹸《サボン》」――大きな金額の丸札――をそのまま賭けてもよし、細かいのが欲しければクルウピエが同額だけの小さな「ぼたん」に崩してくれる。廻転盤と賭《ステイキ》面には一から三十六までの数が仕切ってある。卓子《テーブル》の賭《ステイキ》面のほうは一二三・四五六と三つずつ一線に縦に進んでいるが、廻転盤のは一・三三・一六・二四といったぐあいに入り混っている。この円盤がクルウピエの手によってまわされるのだ。同時にそこに白い玉を放す。すると盤の数字には一つごとに穴がある。玉はいろいろに動いた末そのうちいずれかの数へ落ちる。これで勝負が決する。賭け札《ブウルポア》は卓子《テーブル》の面のその数字へ張ってあるのだ。
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まるけ・むっしゅう!
まるけ・むっしゅう!
ら・ぼうる・ぱっす!
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 賭け方と増戻《ましもど》しの歩合《ぶあ》いとはじつに複雑をきわめている。みんな鉛筆と記録用の紙片を持って陣取り、一々番号のレコウドを取って統計を作り、それによって可能性の多い数字、言わば「その台の傾向・癖」を探り当てようと眼の色をかえているのだ。数字はまた赤と黒と二つの色に別れている。いわゆる Rouge et Noir の運命の分岐だ。だからこの「赤か・黒か」に賭けることも出来るし、そのほか偶数奇数、それから三十六のうち十八までを落第《マンケ》、十八以上を及第《パス》としてこれらにも張り得る。そして、例《たと》え当っても、冒した危険の率によって一倍から三十五倍まで返ってくる金の割合が違う。赤のところへ百|法《フラン》――十円――置いて赤が出たとしたところで、勝金はその一倍、すなわち百|法《フラン》の儲けにしかならないが、仮りに十一へ真正面《アン・プラン》に百|法《フラン》抛り出して十一へ玉が落ちたとすれば百法の三十五倍と元金の百法と、つまり総計三千六百法――三百六十円――というものが転がり込む。賭けたのが百円なら三千六百円だ。しかし、こうなると私も、四角《キャレ》だの|馬乗り《ア・シュヴァル》だの横断線《トランスヴァサル》だの柱《コラウム》だの打《ダズン》だのと色んな専門的な細部や、他の二種の chemin de fer と trente et quarante のゲイムにまで言及したい衝動を感ずるのだが、いまここで私はその煩瑣《はんさ》な事業に着手してはならない。要するにただ、白い「丸薬《ピル》」一つの気まぐれによって「灰色の石鹸」と「扣鈕《ぼたん》」がさまざまに動き、そのたびに或る人の財布はトランクのように大きくなり、ある人のぽけっとは夏の住宅区域のように空《から》になり、自殺する女や発狂する男や、製粉工場を手離してもう一番と踏み止まったり、勝った金で逸早くピアリッツの家《うち》を買って勇退したり、とうとうホテルを夜逃げして、来る時は自動車の窓から見て通ったコルニッシュ道路に長い月影を引きずるものも出てくれば、それをまた途上に擁して毎晩「卓子《テーブル》」で見た顔が拳銃《ピストル》を突きつけるやら――「みどり色の誘惑」は時として意外な方向と距離にまで紳士淑女をあやつって止《や》まない。
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まるけ・むしゅう!
まるけ・むしゅう!
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 博奕においては夫婦といえどもふところは別である。
 で、軍資と祝福を分け合ったのち、私達はその人混みのルウレット室で銘々の信ずる道に進むことにした、五時間後に出口で落ちあう約束。

     6

 五時間後。
 深夜の 〔Le Cafe' de Paris, Monte Carlo.〕
 そこは音楽よりも
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