I
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 は蛤《はまぐり》の大きなの。

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けえいんてす!
い・ぼうあす!
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 これは「HOT・A・GOOD!」で焼き栗屋の売り声だが、そこで、朝のりすぼん港の日課的大合唱は――
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お! かしゅうれ!
さるでえにあす!
えいる・えいる!
むしりおおうん!
けええいんてす!
い・ぼおうあす!
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 AHA! すると、猫・猫・猫――何てまあ古猫・仔猫・野良猫の多いLISBOA!――に、その猫の一匹のような灰色にのろ[#「のろ」に傍点]臭い一日の運転が開始されて、無自覚によごれた群集が街角に立ち話して通行の邪魔をし出し、無自覚な Rua Aurea で銀物屋が鉄の折戸を繰りはじめ、傾斜を這う電車と町なかの大昇降機に無自覚な朝陽が光り、旅行者に乞食と子供が群れて乞食よりも子供のほうがしつこく一文《センテヴォ》をねだり、そこへ|富くじ《ロテリア》売りが札を突きつけ、軒いっぱいに布片地《キレジ》を垂らした羅紗屋の店が何町もつづき、市場をさして豚の列が大通りを追われ、弱そうな兵卒がより[#「より」に傍点]弱そうな士官にだらし[#「だらし」に傍点]のない失敬をし、こわれたTAXIが息を切らして黄色い風を捲きおこし、この奇蹟に驚天動地して狭い往来に雑沓が崩れ立ち、それを見物して巡査はただにやにや[#「にやにや」に傍点]し、その巡査へ現政府反対の八百屋組合から袖の下が往き届き、犬は人を嗅《か》ぎ、植物はほこり[#「ほこり」に傍点]を呼吸し、RADIOの拡声に通行人の全部が足をとどめ、業病と貧困の男女から異臭が発散し、青絵の模様|陶板《タイル》を張った無気味きわまる住宅建築に教養のない顔が出入し、この、大陸の「東部区《イイストサイド》」! 地球上のめにるもんたん[#「めにるもんたん」に傍点]! そして、ふたたび猫・猫・猫――何てまあ宿無し猫みたいな人間と、人間のような棄て猫とがじつに仲好くうようよ[#「うようよ」に傍点]してる無秩序そのものの古河《スワンプ》LISBOA!
 だから、何も|山の手《バイロ・アルト》とは限らない。すこしの冒険心をもって、夜そこらの坂に沿う露地を縫ってみたまえ。くわえ込みの木賃宿 hotel para pernoitar の軒灯がななめによろめいて、ちょうど理髪屋みたいな、土間だけの小店が細い溝をなかに櫛比《しっぴ》している。そして、その一つ一つの入口に、今朝はだし[#「はだし」に傍点]で魚を呼び売りしてたような女たちが、それぞれ木綿レイスの編み物なんかしながら客を待ってるのを見かけるだろう。跣足《はだし》と言えば、ついこの先日まで、漁師やその女房子供は、天下御免にはだし[#「はだし」に傍点]で歩道の石を踏んでたものだが、そこへ急にお達しがあって、以後|跣足《はだし》厳禁、違反者には罰金として鰯《いわし》何十匹を科するなんてことになったので、この連中があわてて靴をはき出したまではいいものの、ところが、何しろ生れてはじめて穿《は》く靴なのでどうも脱げでしようがない。おまけに、考えてもみたまえ! 固い動物の皮で石の上を歩くんだから耐らない。すっかり足を痛くしちまった。それで、この魚売りの女たちが、巡査を見かけ次第穿く用意に、手に靴をぶら下げて街上に立ってるところが新聞雑誌の漫画に出たり、寄席の材料に使われたり、当分賑やかなリスボアの話題だったが、こんなような型の口髭の女まで、夜はここらに出張って来て、酔いどれの水兵でも掴もうと希望してるのだ。人が通ると、レイス編みを中止して何か呪文を唱える、金十エスクウドの相場。戸口からほん[#「ほん」に傍点]の二、三歩むこうに敷布みたいな白い幕が引いてある。そのかげに寝台があるらしい。客がつくと幕をはぐって奥へ入れる。灯油に照し出された小さな土間だ。申しわけにちょっと幕を引くばかりで、もとよりおもての戸なんぞ開けたまんまである。こういう家が、蜘蛛《くも》の巣のような露路うらにびっしり[#「びっしり」に傍点]密生している。ばいろ・あるとよりは、また一段下の私設市場だった。
 海岸へも遠くなかった。夜の波止場では、やはり各国船員の上陸行列に酒精《アルコール》が参加し・林立するマストに汽笛がころがり・眠る倉庫のあいだに男女一対ずつの影がうろうろし・悪罵と喧嘩用具が素早く飛び交し・ふるいINKの海をしっぷ・ちゃんロン・ウウの小舟《ボウテ》が撫でまわり・あらゆる不可能と包蔵と神秘の湾――YES、港だから、毎日船がはいる。そのために来る夜もくる夜も、海岸通り聖《サン》ジュアンの酒場《タベルナ》と|山の手《バイロ・アルト》「マルガリイダの家」にしこたま[#「しこたま」に傍点]お
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