「。明朝早くの出帆だから、いま補欠が見つからなけりゃあ、今夜じゅうに一人「上海《シャンハイ》」しなくちゃならないんだ。支那公《チンキイ》、本船へ来いよ。ま、見せてやろう。』
 事務長についてって覗いた乗組員部屋《クルウス・クオウタ》には、上陸したと思った船員がすっかり納まってて、その夜のめいめいの女――なるほど船乗りらしく男装はしていたが、見たところ美少年のような、確かに異性だった――を相手に、はなはだ貨物船らしくない空気のなかで平和に談笑していた。BAH!
 半分以上は女が動かしてるガルシア・モレノ?
 これじゃあリンピイの商売は勿論、僕の「しっぷ・ちゃん」だって上ったりなわけで、どんな不思議も、こうして解っちまったあとでは何ら不思議じゃない。
 ただ、一刻も早くリンピイにこの発見を伝えたいと思った僕が、じゃあ、ちょっと荷物を纏《まと》めて直ぐ引っ返して来るからと事務長に約束して、いそいでガルシア・モレノ号を逃げ出したことは、自然すぎるほど自然で、言うまでもあるまい。
 波止場《カイス》でリンピイにこの話をして、
『驚いたろう?』
 と結ぶと、リンピイは何かじっ[#「じっ」に傍点]と考えこみながら、
『うん――。』
 妙にうっとり[#「うっとり」に傍点]して答えてた。そして、今夜はガルシア・モレノに「上海《シャンハイ》」――深夜|埠頭《ふとう》の散歩者を暴力で船へ担ぎ上げて出帆と同時に下級労役に酷使すること――があるにきまってるから、あんまり遅くまでここらをうろつかないがいい――と忠告した僕のことばが、いまから思うと、絶大な啓示として彼を打ったに相違ない。なぜって君、その晩、聖《サン》ジュアンの酒場でしこたま[#「しこたま」に傍点]|燃える水《アグワルデンテ》をあおって、すっかり「腹の虫」と自分の意識を殺しちまった跛者《リンピイ》リンプは、わざとがるしあ・もれの号の上海《シャンハイ》隊を待って、眠る大倉庫の横町にぶっ[#「ぶっ」に傍点]倒れていたからだ。
 リンピイは行ってしまった。ガルシア・モレノの上海《シャンハイ》隊に自ら進んで上海《シャンハイ》されて、無意識のうちに担ぎ上げられてリンピイは行ってしまった。
 船と女と whim を追って海から海をわたり歩いてるリンピイ!
 急傾斜する水平線をしばらく忘れて、内心どんなにか淋しかったリンピイ!
 どこでなにをし
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