、業街の心臓《ハアト》モンテイロ街のいま居る家だった。
ここでちょっと道くさを食べる。
いま言った町の名だが、このモンテイロというのは主馬頭《モンテイロ》の語意だ。すなわち、いつの世かこの町のこの家に、時の王に仕侍《しじ》する主馬頭《モンテイロ》が住んでいたことがあった。あの、十字の船印の附いた大帆前船を操ったすぱにゃあど[#「すぱにゃあど」に傍点]が、自分らの鮮血と交換に黄金を奪《と》りに海を越えた時代に相違ない。とにかく、その主馬頭《モンテイロ》の夫人《セニョラ》は小説的な吸血鬼《ヴァンパイア》で、騎士だの侍従だの詩人だのたくさんのBEAUXを持つ。だから主馬頭《モンテイロ》が宮廷に宿直《とのい》の夜なんか、蒸暑《むしあつ》い南国のことだから窓を開け放して、本人は寝巻か何か引っかけた肉感的《エロティック》なスタイルのまんま、窓枠に靠《もた》れて下の往来を覗きながら、南ヘルス産の黄葡萄酒・北リオハ産の赤葡萄酒なんかと好《い》い気に月を仰いで低唱《ハム》していると、忍んで来た勇士達が、このセニョラの窓の下で鉢合せを演じて盛んに殺したり殺されたりする。それを月と夫人《セニョラ》が上から青白く冷たく見物していた――というので、これがひどく有名になり、それからこの通りを主馬頭町《カイ・デ・モンテイロ》と呼ぶにいたった。
こういう因縁つきの町の、おまけに私の居る家というのが、取りも直さずその主馬頭《モンテイロ》の旧邸なんだから、夜中にたびたび窓の下でごそごそ[#「ごそごそ」に傍点]人声がする。さては騎士だの侍従だの詩人だの、例の主馬頭夫人《モンテイロセニョラ》の魅笑に惹き寄せられた恋のすぺいんの亡霊たちが何か感違いして現れたとみえる――こう思ってGABAと寝台を跳《は》ね下りた私が、せいぜい歌劇的に窓へ進んで、そのむかしセニョラがしたであろうように窓を開いて見下ろすと――。
マドリッドは孤丘の上に建っている。連日の青天に白く乾いた遥かの陸橋に新月がかかって、建築中の電話会社《カンパニア・テレフォニカ》の足場の下を、朝市場へ野菜を運ぶ驢馬の長列がBO・BOと泣いて通り過ぎつつあるばかり――芝居《テアトロ》帰りのドン・ファン・テノリオ、夜のドン・キホウテとサンチョ・パンザの人影が霧にぼやけて、聖《サン》フランシスコ寺院の鐘も鳴らず、一晩じゅう戸外を笑い歩くマドリッドの町民もいまは短い明け方の眠りを眠っている。あんまり好《い》い月夜なので、ドン・ホルヘもつい、うろ[#「うろ」に傍点]覚えの南部ヘレス産の黄葡萄酒・北部リオハ産の赤葡萄酒なんかと、むかし主馬頭夫人《モンテイロセニョラ》がやったように月を仰いで低唱《ハム》しようとしたところが、やっぱりいけない。窓の真下からSI・SI・SIとはっきり[#「はっきり」に傍点]恋の迷魂らしいささやきが揺れ上ってくるのだ。
ドン・ホルヘの私は、眼をこすって窓の下の月光を透かし見た。
家の根元に、何だか黒い物が魔誤々々《まごまご》している。
2
とこう言うと、さしずめこのあとは、「マドリッドの旧家に泊って経験した恐怖の一夜」といったふうな西班牙《スペイン》種の怪談でも出て来なけりゃならないようだが、なに、そんなんじゃない。
私の寓居にペトラという若い娘がいる。
いやに話が飛ぶようだけれど、飛ぶ必要があるんだから仕方がない。
で、私の家のペトラは若い娘だった。
西班牙《スペイン》の若い娘はすべてその近隣《ネイバフッド》の甘味《スウイティ》である。だから、ペトラもこの公約により主馬頭街《カイ・デ・モンテイロ》の Sweety だった。
すでに甘味《スウイティ》だから、ペトラはあの、アンダルシアの荒野に実る黒苺《くろいちご》みたいな緑の髪と、トレドの谷の草露《くさつゆ》のように閃《ひら》めく眼と歯をもつ生粋のすぺいん児《こ》だったが、仮りに往時の主馬頭内室《セニョラ・モンティラ》ほどのBEPPINじゃなかったにしても、何しろマドリイの少女――と言ってももう二十五、六だったが――なんだから、このモンテイラ街のペトラにも疾《と》うに一人の男がついていたということは、そのまま、受け入れられていいだろう。
などと、何もそうむき[#「むき」に傍点]になることはない。要するにうちのペトラに恋人あり、その名をモラガスと言って西班牙《スペイン》名題歌舞伎リカルド・カルヴォ一座の、まあ言わば馬の脚だった。じつは一度、私はこのドン・モラガスの舞台を見たことがあるんだが、幕があくと、グラナダあたりの旅人宿《ポクダ》の土間で、土器の水甕《みずがめ》の並んだ間に、派出《はで》な縫いのある財布《アルフォリヨ》を投げ出したお百姓たちが、何かがやがや[#「がやがや」に傍点]議論しながら、獣皮の酒ぶくろから南方へレスの黄葡萄酒かなんかがぶ[#「がぶ」に傍点]呑みしている。言うまでもなく|その他多勢《エキストラ》の組であんまりぱっ[#「ぱっ」に傍点]とする役じゃないが、そのなかで、一きわ黄色い大声を発して存在を主張していたひとりの「村の若い衆」があった。それがわがペトラの愛人ドン・モラガスだった。モラガスは水を呑んじゃあ義務のように酔っぱらって、しきりに仲間の肩を叩いて笑っていたが、そうこうするうちにほんとの芝居がはじまったと思ったら、一同こそこそ[#「こそこそ」に傍点]追い出されちまった。あんな金切声《かなきりごえ》を連発するやつ[#「やつ」に傍点]が居ちゃあ肝腎の会話の邪魔になるからだろう。それからあとで、宮殿の番兵になってちょっとおじぎをしたきり、その夜のモラガスの出演はこの二つだけだった。
こういういすぱにあ俳優ドン・モラガスである。が、舞台外では、かれは主馬頭《モンテイロ》横町の甘味《スウイティ》を相手に実演「|夜の窓《ベンタアナ・デ・ノッチニ》」の主役をつとめていた。
主馬頭《モンテイロ》の旧屋敷へ馬の脚が通ってくるなんて、私もこの恐ろしい偶一致《コインシデンス》にはひそかに戦《おのの》いていたんだが、通うと言えば、一たい西班牙《スペイン》ほど結婚の絶対性を大事にしている近代国家はあるまい――どうも色んな方面へ話題がさまようようだけれど、これがみんな今に一頭の牛に対して必然的関係を生じてくるんだから、ま、もすこし聞いてもらうとして――西班牙《スペイン》では、結婚は、地に咲いた神意の花だとあって、早いはなしが、姦淫者を見つけて斬りつけても、殺さない限り必ず無罪だし、たとえすこしくらい殺したところで、むしろ「名誉の軽罰」でごく簡単に済む。それほど合法の結婚を保護するに厚い。言うまでもなくこれは、加徒力《カトリック》教の教義が極端にあらわれているんだが、それの結婚の尊重が度を過ごして、決して離婚ということを許さない掟《おきて》になってるので、間違って咲いた神の花はどうにも萎《しぼ》みようなくて往生する。つまり一度結婚したが最後[#「最後」に傍点]――ほんとにこれが最後――こんりんざい離婚は出来ない。どだい離婚という言語はすぺいん[#「すぺいん」に傍点]の辞書にはないというんだから、いざ結婚というまえに女は非常に要心する。これは何も女に限った理窟ではなく、「六十年の不作」籤《くじ》を引き当てちゃあかなわないから、男だって相当に警戒するんだろうが、どうも古代から受身のせいか、物語のうえでは女ばかりが嫌《いや》に被害妄念をもって用心することになってる。では、どう要心するかというと、ここに一対の青年男女があって恋を知り、両方の親達が許し合うと、これがほかの国だと文句なしに早速結婚しちまうところなんだが、西班牙《スペイン》ではそうは往かない。ここにはじめて男のまえに、長い試煉の月日が展開し出すのである。AH!
親が承知の婚約の仲だから、男も、昼は公然と訪問する。これはまあいい。厄介なのは夜だ。可哀そうな男《セニョル》は、毎晩毎晩CAPAと称する黒い円套《マント》――裏に凝《こ》って、赤と緑のだんだん[#「だんだん」に傍点]の天鵞絨《びろうど》なんかを付けて通《つう》がってる――そいつをすこし裏の見えるように引っかけ、ボイナ[#「ボイナ」に傍点]というぽっち[#「ぽっち」に傍点]のついた大黒帽《だいこくぼう》の従弟《いとこ》みたいな物をいただき、もっと気取ったやつはカパのなかにギタアを忍ばせたりして、深夜に女《セニョリタ》の住む窓の下へ出かける。そして、南へレス産の黄葡萄酒よ! と合言葉を投げると、内部から、おお! 北リオハの赤葡萄酒! とか何とか応えながら、女が窓を開ける。時刻は予《かね》て打ちあわせてあるから、女《セニョリタ》は厚化粧をして待っていて、古城の姫君にでもなった気ですっかり片づけている。ここにおいて数分間、窓を通じて内外に恋のやりとり[#「やりとり」に傍点]があるんだが、この場合、いくら公認の忍びでもギタアを引っ掻いたりしちゃあ近処の迷惑になるから、たいがい沈黙のうちに両人同じ月を眺めて溜息をつくくらいのものだ。これが毎夜毎夜毎夜――以下無数――に継続する。しかし、ただ窓をとおして顔を見あったり饒舌《しゃべ》ったりするだけのことだから、まるで動物園にお百度を踏むのと同じで、通うと言ったところで、単に男《セニョル》のほうで、愛の恒久性、恋の保証をこういう手段で見本《サンプル》に示すに過ぎない。だから、これにへこたれて通勤を止《よ》しちまった男《セニョル》は直ぐ駄目になるわけだが、来る夜もくる夜も根気よく窓の下に立っていると、お前、こんどのは割りに長つづきするじゃないか、なんかとまず、女の両親、ことに母者人《ははじゃびと》が呆《あき》れ半分に感心し、男《セニョル》の誠実|相解《あいわか》った! と古風に手を打ったりして、あとはすらすら[#「すらすら」に傍点]と事が運び、間もなく神の意思に花が咲くといった経路だ。どうも廻りくどいが未《いま》だにやってる。私もいつか、セルヴァンテスの家を探してあるきまわった晩なんか、くらい横町にあちこち窓を見上げて立っている青年をふたりも三人も見かけたものだった。通行人も巡警もこればかりは知らん顔してとおり過ぎることにしている。それはいいが、なかには、一晩に二、三個の窓を掛け持ちして、自転車を飛ばして走りまわっている、私立大学のPROFみたいに多忙なのもあったりして、自然この「西班牙《スペイン》国青春男女婚約期間」には悲喜こもごも幾多の秘話があるんだが、元来これは闘牛のはなしのはずだから、そこで、無理にも筋を牛のほうへ捻《ね》じ向けよう。
が、これで判った。つまりドン・モラガスはうち[#「うち」に傍点]のペトラと許婚《いいなずけ》の間で、目下せっせ[#「せっせ」に傍点]と窓通いをやってる最中なんだが、ドン・ホルヘはそんなことは知らない。夜中に窓の下でごそごそ[#「ごそごそ」に傍点]人声がするのは、てっきり主馬頭夫人《セニョラ・モンテイラ》の旧恋人たちの幽霊だろうと思いこみ――まあさ、一たい何だろうと窓を開けて見下ろしたところが、丘の街マドリッドを明方の熟睡と月光が占領し――下のペトラの窓にへばり[#「へばり」に傍点]ついて、
『ねえペトラさん、まだ話が決まりそうもないでしょうか。僕あもう闇黒《くらやみ》の中で眼をつぶって歩いても、ひとりでにこの窓の下へ来るようになりましたよ。』
『まあ! でも、まだらしいのよドン・モラガス。だって、お母さんたら、うちのお父さんはわたしんとこへもうこの三倍も通いました、なんて言ってるんですもの。』
などと、いすぱにあモダン・ガアル「窓のペトラ」と盛んにTETE・A・TETEしてたらしい役者ドン・モラガスが、はっ[#「はっ」に傍点]とびっくりして上を見あげたから、私もばつ[#「ばつ」に傍点]が悪い。あわてて深呼吸をしながら遠くへ眼をそらすと、遊子ドン・ホルヘの顔いっばいに月が照らして――ま、そんなことはどうでもいい。
話題を闘牛へ戻す。
3
燃え立つ太陽・燃え立つ砂塵・燃え立つ群集・燃え立つ会
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