二百有余を算し、なお、常設の闘牛場を有《も》たない小町村では、市場をもって祭日その他の場合の臨時闘牛場に充当している。いかにすぺいんの国民生活に、闘牛が重要な一部、じつに最も重要な一部を作《な》しているか、これでも知れよう。
そんなら一たい、なぜそうこの「儀礼と技芸によって美装されたる牛殺し」が、西班牙《スペイン》民族のうえに尽きざる魅力を投げるか? 言い換えれば、闘牛に潜む“It”は何か!――というと、第一に、闘牛は必ず野天で行われる。しかも夏日炎々として人の頭がぐらぐら[#「ぐらぐら」に傍点]っとなってるとき、闘牛場には砂が敷いてある。その黄色い砂利にかっ[#「かっ」に傍点]と太陽が照りつけて、そこに、人と動物のいきれ[#「いきれ」に傍点]が陽炎《かげろう》のように蒸《む》れ、たらたらと流れるわる[#「わる」に傍点]赤い血――時としては人血も混じて――の池がむっ[#「むっ」に傍点]と照り返って眼と鼻を衝く。そうすると観客はすっかりわれを忘れてわあっ[#「わあっ」に傍点]と沸き返る。というこの灼熱的な、ちょっと変態的な効果に尽きる。この南国病的場面を極度に助長させるため、そこはよく
前へ
次へ
全67ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング