uはしゃぎ」に傍点]切って急いでいる。
 AH・SI! 何という西班牙《スペイン》らしさ!
 闘牛は彼らにとって伝統的国家精神の具現なのだ。宗教以上の宗教、第一位の信仰なのだ。黒い彫刻的な男の横顔と、白く閃《ひら》めく女の眼と歯を見ただけでも、それはわかる。だから私も、西班牙《スペイン》人なみに眼の色を変えて、闘牛行《プラサ・デ・トウロス》をめざしこうして進軍しつつあるんだが、これから目撃しようとする「血と砂」の国民的大スポウツの予想に、皆がみな走りながらしゃべってるこの「西の支那人」の大群――その騒々しいこと、殺気立ってること、これじゃあ今日殺されるはずの牛族のほうがよっぽど冷静だろう。何のことはない。逆上と饒舌と有頂天の一大混成旅団が、アルカラ大街を帯のように徐々に動いて、むこうの闘牛場《ア・ラ・プラサ》の入口へ吸い込まれていくと思えばいい。そして、この叙景に忘れてはならないものは、じりじり[#「じりじり」に傍点]する太陽と真黒な地物の影、女の頬と旗と植物を撫でてゆくこの高台の光風だ。
 闘牛場《ア・ラ・プラサ》は近い。
 太陽《ソル》も近い。
 てらら・らん・らん!
 てらら・らん・らん!
 とつぜん闘牛楽《パサ・ドブレ》が聞えてくる。開演の迫った合図――軍楽隊のONE・STEPだ。
 ドン・ホルヘの歩調も、殺害さるべき牛の身の上を忘れてとても[#「とても」に傍点]陽気にならざるを得ない。てらら・らん・らん! てらら・らん・らん! と。
 何と舞踏的なパサ・ドブレ!
 てらら・らん・らん!
 てらら・らん――!
 洪水のような西班牙人《スパニヤアド》の混雑に押されて、ドン・ホルヘの私も闘牛楽《パサ・ドブレ》に合わせて踊りながら、いよいよ入口を潜《くぐ》った。
 と、突如、円形の黄砂《こうさ》広場は、直射を受けて眼に痛い。
 そしてその周囲、城壁のように石の段々に重なって動き、そよぎ、うなずき合っている八千から一万のすぺいん人種の顔――あとからもどんどん[#「どんどん」に傍点]割り込んできている。
 上には、太陽の示威運動だ。
 これより先――。
 ボルドオから聖《サン》セバスチャンを経てMADRIDへ辿り着いたジョウジ・タニイ――それは陸橋に月が懸って、住宅の根元の雑草にBO・BOと驢馬の鳴く晩だった――が、ドン・ホルヘに転身してこのマドリイの宿ときめたのが、商業街の心臓《ハアト》モンテイロ街のいま居る家だった。
 ここでちょっと道くさを食べる。
 いま言った町の名だが、このモンテイロというのは主馬頭《モンテイロ》の語意だ。すなわち、いつの世かこの町のこの家に、時の王に仕侍《しじ》する主馬頭《モンテイロ》が住んでいたことがあった。あの、十字の船印の附いた大帆前船を操ったすぱにゃあど[#「すぱにゃあど」に傍点]が、自分らの鮮血と交換に黄金を奪《と》りに海を越えた時代に相違ない。とにかく、その主馬頭《モンテイロ》の夫人《セニョラ》は小説的な吸血鬼《ヴァンパイア》で、騎士だの侍従だの詩人だのたくさんのBEAUXを持つ。だから主馬頭《モンテイロ》が宮廷に宿直《とのい》の夜なんか、蒸暑《むしあつ》い南国のことだから窓を開け放して、本人は寝巻か何か引っかけた肉感的《エロティック》なスタイルのまんま、窓枠に靠《もた》れて下の往来を覗きながら、南ヘルス産の黄葡萄酒・北リオハ産の赤葡萄酒なんかと好《い》い気に月を仰いで低唱《ハム》していると、忍んで来た勇士達が、このセニョラの窓の下で鉢合せを演じて盛んに殺したり殺されたりする。それを月と夫人《セニョラ》が上から青白く冷たく見物していた――というので、これがひどく有名になり、それからこの通りを主馬頭町《カイ・デ・モンテイロ》と呼ぶにいたった。
 こういう因縁つきの町の、おまけに私の居る家というのが、取りも直さずその主馬頭《モンテイロ》の旧邸なんだから、夜中にたびたび窓の下でごそごそ[#「ごそごそ」に傍点]人声がする。さては騎士だの侍従だの詩人だの、例の主馬頭夫人《モンテイロセニョラ》の魅笑に惹き寄せられた恋のすぺいんの亡霊たちが何か感違いして現れたとみえる――こう思ってGABAと寝台を跳《は》ね下りた私が、せいぜい歌劇的に窓へ進んで、そのむかしセニョラがしたであろうように窓を開いて見下ろすと――。
 マドリッドは孤丘の上に建っている。連日の青天に白く乾いた遥かの陸橋に新月がかかって、建築中の電話会社《カンパニア・テレフォニカ》の足場の下を、朝市場へ野菜を運ぶ驢馬の長列がBO・BOと泣いて通り過ぎつつあるばかり――芝居《テアトロ》帰りのドン・ファン・テノリオ、夜のドン・キホウテとサンチョ・パンザの人影が霧にぼやけて、聖《サン》フランシスコ寺院の鐘も鳴らず、一晩じゅう戸外を笑い歩くマドリッドの町
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