・モラガスが、このあらたか[#「あらたか」に傍点]な切符をかざしてドン・ホルヘを救いにあらわれたのである。
 こういうわけだ。
 窓通いの現場を発見されたのが面映《おもは》ゆかったのか、それとも、今後恋路の妨げをしないようにお世辞を使っとく必要ありとでも認めたものか、あの、私が夜中に窓をあけた翌日、ドン・モラガスが接近して来て言うには、彼の友達にベルモント――これは当代随一の闘牛家で全|西班牙《スペイン》の国家的英雄――の弟子の弟子の又弟子か何かがあって、そいつを煽《おだ》ててうまく入場券を寄附させたから、どうだドン・ホルヘ、一つ日曜日の大闘牛へ行ってみないか、というのである。
 私がモラガスの胃を叩いて、牛血を浴びた闘牛士のように勇躍したことは言うまでもあるまい。

     4

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てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
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 闘牛開始だ。
 軍楽隊は一度に闘牛楽《パサ・ドブレ》の調子を高め、旗はいっせいにひらひら[#「ひらひら」に傍点]し、人は歓呼の声を上げて――この闘牛士入場式の光景!
 はじめは徒歩、それから騎馬の十七、八人の闘牛士だ。見てるうちに私は何となく可笑《おか》しくなった。
 横に長い黒の帽子。
 中世紀の小姓みたいな総金もうる[#「もうる」に傍点]の短衣《チョッキ》。
 赤・青・黄に同じくモウル付き半ずぼん。
 揃いの赤ネクタイ・白靴下。
 肩や腰に紅布《ミウレタ》をかけてるのもある。
 それが威儀を整えて練り込んで来るのだ。
 絢爛《けんらん》。堂々。颯々《さっさつ》。
 が、何という莫迦々々《ばかばか》しい大仰さ。
 ナヴァロのような青年。
 彫刻的な浅黒い相貌。
 金ぴかの全身にダンスする光線。
 贔屓《ひいき》の闘牛士の名を呼ぶ観客の声。
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てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
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 ――ここにちょっと妙なのは、この闘牛士連がみんなちょん[#「ちょん」に傍点]髷を結ってることだ。
 しかも、その蜻蛉《とんぼ》のようなまげ[#「まげ」に傍点]の撥先《はねさき》を帽子のうしろから覗かせている。
 Coleta という。
 ちょん髷の西洋人なんて初めて見たが、何となく不気味な感じだ。ちょうど日本のお相撲さんみたいなもので、この、闘牛士に特有の豚尾式結髪《ピッグ・テイル》――COLETA――は、西班牙《スペイン》では甚だ粋《すい》な伊達《だて》風ということになっている。闘牛士を追っかける|踊り子《タンギスタ》なんか、あの人の髷っぷりが耐《たま》らなく憎らしいとか何とか――まあ、その間いろいろとろまんす[#「ろまんす」に傍点]があるわけだが、じっさい、西班牙《スペイン》における闘牛士の地位は日本の力士に似ていて、みんなそれぞれにパトロンがあり、なかには、名士富豪にくっ[#「くっ」に傍点]付いて廻って酒席に侍したりする幇間《ほうかん》的なのもすくなくない。派出《はで》な稼業だけに交際が大変だ。おまけに大立物《エスパダ》になると、見習弟子だの男衆だのと、いわゆる「大きな部屋」を養っている。そのかわり名誉と収入も莫大なもので、近いためしが、今日の人気闘牛士ベルモント――この人はセヴィラに宏壮な邸宅を構えている。これはあとから私がセヴィラに行って居た時だが、或る日、ホテルの下の往来が急に騒々しいので覗いてみるとちょうどこのベルモントが、散歩か何かの途中街上で、市民に包囲されたところで、男も女も子供もわいわい[#「わいわい」に傍点]後をついて歩いて、手を振る、握手を求める、上の窓から花を抛《なげ》る、まるで紐育《ニューヨーク》人が空のリンディを迎えるような熱狂ぶりだった。西班牙《スペイン》国民の大闘牛士に対する崇拝ぶりはこれでもわかる。英雄ベルモントは探険家のような風俗の、もう半白《はんぱく》に近い軍人的《ミリタリイ》な好紳士だ。一日の出場に七千から一万ペセタ――わが約三千円あまり――を取る、だから今では、大した地所持ち株もちだが、最近本人が勇退の意をほのめかしたところ、たちまち国論が沸騰した。牛で儲けた金だから死ぬまで牛と闘えというのだ。これにはさすがのベルモントも往生してるようだが、このファンの声も、言いかえれば、ベルモントなきのちの闘牛を如何《いかが》せんという引止《ひきとめ》運動に過ぎないんだから、老闘牛士も内心|莞爾《かんじ》としたことだろう。その他、有名な闘牛士にはガリト、マチャキト、リカルド・トレスなんかの猛者《もさ》がいて、すこし古いところではアントニオ・フュエンテがある。この人はアルメリヤの近くに、「領土」とも謂《い》うべき広大な土地と、古城のような屋敷を持っている。それからこれも今は故人のはずだが、ラ
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