だ。その努力が、また私をして面《おもて》を外向《そむ》けしめる。ふだんから牛の眼はどこを見てるのか解らないもんだ。この必死の土壇場になっても、「赤い小山」は一たいどこを白眼《にら》んでるのか見当がつかない。青空と砂を同時に見てるようでもあるし、ぼんやり周囲の見物席に見入ってるようでもある。悲しい眼だ。何を考えてるのだろう? 私にはそれがわかる――一体全たいこのすべての騒ぎは何のためなんだろう? 牛は不思議そうに首を捻《ひね》っている。話で判ることなら何とか折合おうじゃないか。そうも言ってる。それに、これだけ集まってる人のなかで、こんなに降参してる俺のために、一人だって謝ってくれる者はないんだろうか――牛の眼がスタンドを見渡した。私はその眼を忘れない。
 急に私は牛のために祈り出した。
 私のこころはいま秘かに奇蹟をこいねがっている。
 何とかしてここで、あの「赤い丘」が装甲戦車のような万能力をもって動き出し、闘牛士は勿論、観覧席へのし[#「のし」に傍点]上って全見物を片っぱしから押し潰《つぶ》して廻るような超自然事は起らないかしら――?
 牛も、時として復讐することがある。
 闘牛士が角に突かれて絶命するのだ。そしてそれは、このバンデリエイルと次ぎのマタドウル・デ・トウロスに多い。
 眼前の凄惨さを直視するに忍びない私に、影絵のような西班牙《スペイン》のそのまた影絵のような過去の物語がうかび上がる。
 話中話――題をつけよう。
「イダルゴとホウセリト」
 過去といっても、そう古いことじゃない。まだ五、六年まえだが、イダルゴという西班牙《スペイン》有数の女優と、ホウセリトと呼ぶ、これも名高い闘牛士とが、愛し合ってマドリッドに共同生活を営んでたことがある。女は舞台の花、男は血と砂の勇士だ。場処は太陽に接吻されるスペインである。一流同士の華やかな恋愛として、この二人が当時どんなに全市の口の端《は》にのぼったか、そして、たださえ恋巧者な南国人の、しかも女優と闘牛士だ、いかに灼熱的な日夜がふたりのあいだに続いたことか、それは想像に難くない。
 なんかと、莫迦《ばか》に女優ばかり引合いに出すようだけれど、女優と闘牛士なんて、どっちも西班牙《スペイン》の生活に重大な別社会を作ってる人気商売である。相接する機会が多く、じっさい、何だかんだとしじゅう一しょに噂の種を蒔《ま》いて世間の
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