二度も三度も続けさまに気絶してしまった。そこで彼女は、もの好きな話だが、すっかり残りの予定を破棄してマドリッドに腰を据え、これではならないとわざと砂に近い席へ陣取って、その季節中一つも欠かさずに、修行のように通い詰めた。言うまでもなく紐青《ニューヨーク》からは、なぜそういつまでも西班牙《スペイン》にいるのかと詰問の電報が矢のように飛来した。が、それを無視して闘牛場の石段にすわっているうちに、数度の失心ののち、ようやく刺激に慣れたと言おうか、だんだん全演技を通じて正視出来るようになって、しまいには、どんな光景に直面しても彼女は平気でいられるようになった。西班牙《スペイン》人の闘牛の「見方」が、彼女にも少しずつ判りかけたのだ。こうなると、個々の闘牛士の癖とか、無経験な見物には気のつかない危機とか、紅布《ミウレタ》の捌《さば》き、足の構えの妙味、ちょっとした手銛《バンデリラ》のこつ[#「こつ」に傍点]とか、つまり専門的に細かい闘牛眼がメリイ・カルヴィンにも備わって来て、そして、そう気のついた時、彼女はもう押しも押されもしない立派な闘牛ファンになり切っていた。
その年の季節は終った。が、彼女は亜米利加《アメリカ》へ帰るかわりに、地方巡業に出た闘牛士を追っかけて西班牙《スペイン》じゅうを廻り歩いた。そして翌年のマドリッド闘牛場はまたメリイ・カルヴィンの姿を発見した。あめりかも紐育《ニューヨーク》も生家の富も、この血と砂の誘惑のまえには彼女にとっては無力だった。帰国を促す交渉がとうとう破裂しても、西班牙《スペイン》に闘牛があるあいだ、すぺいんを見捨てることは彼女には不可能だった。麺麭《パン》と入場料を獲《う》るために彼女は女優になった。そしてずうっ[#「ずうっ」に傍点]とこんにちに及んでいる。いまのメリイ・カルヴィンは、闘牛によってのみ生甲斐《いきがい》を感じているといっても、過言ではあるまい。
『さあ――何といったらいいか、この気持はちょっと説明出来ないが――。』
とモラガスは、役者だけにさも困ったように首をかしげて、
『そうだな。動物に対する人間征服感の満足とでも言おうか。いや、決してそんな安価な感情じゃあないんだが、そうかと言って、君はじめ多くの外国人が考えるような、単純な「血の陶酔」でもない。勿論すぺいん人だって普通の感覚は持ってるし、闘牛以外では、ずいぶん人に譲ら
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