轤オて、自席のまえの欄干へ懸ける。これが何よりの闘牛場の装飾になる。いまスタンドのそこここに大輪の花が咲いたように見えるのが、それである。
 扇子と 〔Manto'n de Manila〕 とCAPAとぼいな[#「ぼいな」に傍点]とカアネイションと牛と。
 そして興奮と白熱と饒舌と女性と。
 なかんずく太陽!――闘牛は今はじまろうとして、全すぺいんがここに集って待っている。
 ――で、直ぐ始めてもいいんだが、闘牛に関する幾らかの予備知識を持たなくちゃあただ見たって面白くあるまい。もっとも私の席はかなり闘牛庭《レドンデル》へ近いから、よく見えることは見えるんだけれども――とにかく、この座席を占領するまでにどれだけ私が苦心惨澹しなければならなかったか。ひいては、闘牛というものに対する西班牙《スペイン》人の心持は如何《いかん》? というようなことから、いよいよ始まるまでの数分間を利用して、この機会にすこし「闘牛考」をしてみよう。
 もう大分まえだが、私がピラネエ颪《おろし》みたいにこのマドリッドへ吹き込んで来た当初から、年に一回の最大闘牛、赤十字の慈善興行が来る日曜日――すなわち今日――催されるというんで、町も国も新聞も居酒屋も、早くからその評判ではち[#「はち」に傍点]切れそうだった。
 闘牛――すぺいん語で謂《い》うCORRIDA DE TOROS。
 闘牛は、言うまでもなく、一時この国に権力をふるったアラビヤ人の影響で、十六世紀の初期までは、勇猛な一人の騎士《カバレロ》が槍を持って悍馬《かんば》に跨《また》がり、おなじく勇猛なる牡牛《トウロス》に単身抗争してこれを斃《たお》すのがその常道だった。そして主として貴族の特権的懸賞物だったが、この遣《や》り方は、牛よりも人にとって危険率が多い――たしか十六世紀のはじめだったと思う。或る年の闘牛祭礼《フェスタ・デ・トウロス》には、一日に十人の「勇猛なる騎士」が牛の角にかかって敢《あえ》ない最期を遂げたと記録に見えている――というんで、もっと安全にそして確実に牛を殺し、ただその過程を華美にかつ勇壮にしようとあって、首府マドリッドに大闘牛場《プラサ・デ・トウロス》が新築されるとともに、従来の闘牛方法を改正して現行の順序様式を採用し、同時に闘牛は一般民衆の熱狂的歓迎と流行を独占するにいたった。こんにち西班牙《スペイン》国内の闘牛場は
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