蜃気楼。
 曰く。すでに天へ届いている現代バベルの架空塔。
 また曰く。世紀長夜の宴を一手に引き受けて疲れない公休市《ハリデイ・タウン》。
 詩情と俗曲と秋波と踊りと酒と並木と女の足との統一ある大急湍《だいきゅうたん》――OH! PARIS!
 土耳古《トルコ》人にもせるびや[#「せるびや」に傍点]人にも諾威《ノウルエー》人にも波蘭《ポーランド》人にも、ぶらじりあんにもタヒチ人にも、そして日本人にも第二の故郷である異国者の自由港。
 誰でもの巴里《パリー》。
 だから「私の巴里」――もん・ぱり!
 みんなが自分の有《もの》として独占し、したがって何人《なんぴと》にも属していない地球人《コスモポリタン》の交易場。
 やっぱり「私の巴里」――もん・ぱり!
 英吉利《イギリス》人には Paris, England であり、あめりか人にとっては、Paris, U.S.A. であり、ふらんす人は未だに Paris, France の気でいるが、ほんとは疾《と》うの昔に Paris, Bohemia になってる「私の巴里」――もん・ぱり!
 何という悪戯的な蟲惑《こわく》と手練手管の小妖婦が、この万人の権利《クレイム》する「|私の巴里《モン・パリ》」であろう!
 流行型の胴のしなやかな若い女が、流行型の大きな帽子箱を抱えて、流行型の自動車へ乗るべく今や片足かけている細い線描の漫画――これが「巴里」だ。なぜなら、彼女の長い睫毛《まつげ》と濃い口紅は必ず招待的にほほえんでいるだろうし、すんなり[#「すんなり」に傍点]と上げた脚は、失礼な機会《チアンス》の風にあおられた洋袴《スカアト》――多くの場合それは単にスカアトの名残りに過ぎないが――の下から、きまって靴下の頭と大腿の一部を覗かせているだろうし、そして花輪のようなその靴下留めには、例外なく荷札みたいな一片の紙が附いてるだろうから――「|あなたへ《プウ・ヴウ》!」と優にやさしく書かれて。
 影と光りとエッフェルと大散歩街とマロニエの落葉と男女の冒険者とヴェルレイヌの雨とを載せて、ふるく新しい小意気な悪魔「巴里《パリー》」は、セエヌを軸に絶えず廻っている――ちょうどモンマルトルの|赤い風車《ムラン・ルウジ》のように。
 それと一しょに人の感覚もまわる――酔った中枢神経をなかに。
 みんながみんな「自分の巴里」を持ってるからだ。
 笑っている巴里。
 唄っている巴里。
 ちら[#「ちら」に傍点]と太股《ふともも》を見せて片眼をつぶっている巴里。
 EH・BIEN!
 MON・PARIS!
 ――ところで、いつまでもひとりで騒いでいたんじゃあ話が進まないから、いい加減ここらで切り上げて本筋へかかろう。
 さて、これが私――ジョウジ・タニイが、幸か不幸か一時ノウトルダムの妖怪になった一JOの物語である。
 なんかとこうひとつどかん[#「どかん」に傍点]とおどかしておいて、その君があっ[#「あっ」に傍点]と驚いてる隙に乗じてこの事実奇談《これだけはほんと》を運んで行こうという肚《はら》なんだが、ここに困ったことが出来たというのは、どうも「巴里《パリー》――日本」とこう万里を隔てているんじゃあ何かにつけて不便で仕様がない。で、いろいろと手離せない御用もおありだろうけれど、そこは私に免じて、一つ思い切って君にも巴里へ来てもらうことにする。
 嫌《いや》だなんて言ったってもう駄目だ。はなしは早い。君の汽車はいま巴里へ滑り込もうとしている――。
 僕が停車場まで迎えに出る。
 出来ることなら初夏、もしくは秋の夕ぐれがいい。長い黒煙の旅を終えて北から南から西から東から巴里へ入市したまえ。
 ははあ! 君にとってそれは「暫《しばら》く空けていたふるさと」へ帰るこころもちだ。この、灯《ともしび》のつき初めた巴里の雑沓へ、北停車場《ガル・ドュ・クウ》なり聖《サン》ラザアルなりから吐き出される瞬間の処女のような君のときめき[#「ときめき」に傍点]、それほど溌剌《はつらつ》たる愉悦はほかにあり得まい。いつ来ても同じ巴里《パリー》が君の眼前に色濃く展開している。だから、鞄《かばん》を提げて一歩改札口を踏み出るが早いか、灯火とタキシと女の眼とキャフェの椅子と、巴里的なすべてのものがうわあっ[#「うわあっ」に傍点]と喚声を上げて完全に君を掴んでしまう。同時に君は、忻然《きんぜん》として君じしんの意思・主観・個性の全部をポケットの奥ふかくしまいこむだろう。こうして君は巴里の洗礼を受ける。するともう君は巴里人《パリジャン》という一個の新奇な生物に自然化しているのだ。君ばかりじゃない、土耳古《トルコ》人もせるびや[#「せるびや」に傍点]人も諾威《ノウルエー》人も波蘭《ポーランド》人もブラジリアンもタヒチ人も亜米利加《アメリカ》人も――。
 笑っている巴里。
 唄っている巴里。
 ちら[#「ちら」に傍点]と洋袴《スカアト》をまくって片眼をつぶっている巴里。
 君! 君ならどうする?
 まずホテルへ。BON!
 そら、タキシだ。手を上げる。
『キャトルヴァンデズヌウフ・アヴェヌウ・ドュ・シャンゼリゼエ――セッサ!』
 君の口から生意気な一本調子が自然にすべり出る。ははあ! 君はまだ飲まない葡萄酒《ぶどうしゅ》に酔っているのだ!
 ホテルへ荷を下ろす。が、夜とともにいま生き出したばかりの巴里《パリー》が、君を包囲して光ってる、笑っている、唄ってる――ちょいと太股を見せている。
 さ、第一に、君はどうする?
 グラン・ブウルヴァルへ出かけて歩道の|張出し《タレス》で 〔ape'ritif〕 でも啜《すす》るか。BON!
 ジョウジのように洋襟《カラア》をはずし、一ばんきたない服を着て聖ミシェルか Les Halles あたりの酒場《バー》から酒場を一晩うろついてみるか。これもBON!
 それとも些《いささ》かの悪心をもって路上に「鶴」――辻君《つじぎみ》のこと。たぶん立って待ってる姿が似てるからだろう――でもからかうか。または例の「女の見世物」でも漁《あさ》って歩くか。同じくBON!
 と、そう何でもかんでも善哉《ボン》じゃあ案内役の僕が困るが、いま「女の見世物」ってのが出て来たようだが、じつは、話はこの「女の見世物」と大いに関係があるんで――と言っても、僕がそんなところを君を引きまわすわけじゃないから安心したまえ。それどころか、僕は僕で、ゆうべサミシェルのLA・TOTOでアンリ親分から言いつかった大事な用があるんだ。
 とにかく、おもてへ出よう。
 巴里《パリー》の夜は人の眼を wild にする。君ばかりじゃない。土耳古《トルコ》人もセルビヤ人も諾威《ノウルエー》人も波蘭《ポーランド》人も、ぶらじりあんもタヒチ人も「紳士である」いぎりす人も、「あんまり紳士でない」亜米利加《アメリカ》人も――。
 私の仕事の受持ちは、この英吉利《イギリス》紳士とあめりかのお金持ちなんだが、じゃあ一たいどんな仕事かと言うと――待った!
 今そいつを明かしちまっちゃあ第一親分に済まねえし、それより話にやま[#「やま」に傍点]ってものがなくなる。だから、ここまで来たが最後、嫌《いや》でもおしまいまで読むことだ。

     3

 ブルヴァル・キャプシンからマデレイヌ、RIVOLIから宮殿広場、オスマンからプラス・ドュラ・コンコルド、シャンゼリゼエから星《エトワアル》、そこの凱旋門から森《ボア》ドュ・ブウロニュの大街――とこう並べ立てると、外国人――ふらんす人以外の――の多くうろうろ[#「うろうろ」に傍点]している巴里《パリー》眼抜きの大通りはたいがい網羅しつくしたようなものだが、これが簡単なようで、いざ実地に足で歩いてみるとなかなかそうでない。まず、リヴォリの「屋根のある歩道」を出はずれてコンコルドへさしかかると、縦横無尽無秩序滅茶苦茶電光石火間一髪と言ったぐあいに、どれもこれも家族の臨床へ急ぐように、眼の色を変え、息を切らした自動車の奔流が前後左右から突進し、驀出《ばくしゅつ》し、急転し、新|巴里《パリー》名所「親不知子不知《おやしらずこしらず》」――もっとも交通巡査だって根気よく捜査すると一人ふたりそこらに居るにはいるんだが、はじめからすっかり降参して、ただ一番安全な安全地帯に立って帳面片手に楽しく鉛筆を舐《な》めてるきりだ。何をしてるのかというと、今かいまかと自動車の衝突するのを待って、事故が起り次第、その状況顛末・操縦者の姓名――なるべく本名――生年月日・欧洲戦争に出陣したりや否や――ついでだが、巴里ではこの、大戦に参加したかしなかったかによって個人の待遇に大変な差別が生ずる。それも、負傷でもしたんだと一そういい。傷が大きければ大きいほど大きな顔が出来るようだ。だから、梯子《はしご》段から墜落して腰でも折ったやつ[#「やつ」に傍点]が杖に縋《すが》って町を歩いていたりすると、あれあヴェルダンの勇士だろう。道理で勇敢な顔をしてるなんかと行人のささやき[#「ささやき」に傍点]と尊敬の眼が集まる。じっさい巴里における癈兵《はいへい》の社会的権力と来たら凄《すさ》まじいもので、地下鉄《メトロ》には特別の席があるし、癈兵が手を出したら煙草でも時計でも衣服でも全財産を即座に提供して、おまけにこっちから「多謝《メルシ・ボクウ》」と言わなくちゃならないし、飾窓《ウインデ》を叩き割って犬を蹴って、ついでに巡査も蹴って、それから大道にぐっすり寝込んでも、つまりいかなる活躍も癈兵なら一向差しつかえないことになっている。癈兵でさえこうだから、これが戦死者となると実に大した勢いで、巴里《パリー》の街を欧洲戦争で死んだ人がふらふら[#「ふらふら」に傍点]散歩でもしてようもんなら――まあ、止《よ》そう。
 どうもわき[#「わき」に傍点]へ外《そ》れて困る。一たい何からこの癈兵問題が勃発したかというと、地下鉄《メトロ》の件でもなし、梯子段でもなし、そうそう、プラス・ドュ・ラ・コンコルドの交通巡査のことだったように覚えているが、そしてその交通巡査は、二台の自動車がぶつかるや否、素早く「現場」へ駈けつけて「詳細の報告」をしたためようと言うんで、手帖と鉛筆を斜《ななめ》に構えて安全第一の場処に直立してるばかりで、何らGO・STOPの実用にはならないから、「歩く馬鹿」の身になってみると一通りや二通りの苦労じゃないという一事を強調したかったまでのことで、私なんか、これくらいなら「馬耳塞《マルセイユ》でいぎりすの石炭船から脱船」しなけりゃ宜《よ》かったと思ったほどだ。が、今になってそんなことを言ったってはじまらない。巡査だって何もぼんやり立ってるんじゃなくて、白塗りの棍棒を振り廻しながら盛んに無辜《むこ》の歩行者を白眼《にら》みつけたり、その余暇に、前を走る自動車にとても忙しそうにやたらに挨拶してる。
 朝なら「|お早う《ボン・ジュウル》」。
 晩なら「|今晩は《ボン・スワ》」と。
 ばかに交通巡査を眼の仇敵《かたき》にしてるようだが、全くこんなふうなんだから、自動車にはいつだって轢《ひ》かれるほうが悪いんで、そしてこのプラス・ドュ・ラ・コンコルドを轢かれずに渡った人はあんまりない。私は中央の島みたいなところを飛びとびに辿ったから轢かれなかった。轢かれちゃったんじゃあこの話が出来ないから――。
 そこで、これからの一本道が名にし負うシャンゼリゼエなんだが、こいつがまた凱旋門まで一|哩《マイル》と四分の一もある、おまけにいや[#「いや」に傍点]に真直ぐだから、気のせいか、なお長い。
 なんて、てくり[#「てくり」に傍点]ながらそんなにのべつ[#「のべつ」に傍点]愚痴を溢《こぼ》すくらいなら、早くタキシにでも乗ったらいいじゃないかと思うだろうが、いくら私が酔狂だってこうして郵便脚夫みたいに歩きたかないけれど、それがそうは往かないと言うわけは、じつは、身をもって歩き廻らない以上、どうにもならない役目を一つ、ゆうべ私は親分のアンリ・アラキから仰せつかっているのである。
 だから今日、こ
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