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 ブルヴァル・キャプシンからマデレイヌ、RIVOLIから宮殿広場、オスマンからプラス・ドュラ・コンコルド、シャンゼリゼエから星《エトワアル》、そこの凱旋門から森《ボア》ドュ・ブウロニュの大街――とこう並べ立てると、外国人――ふらんす人以外の――の多くうろうろ[#「うろうろ」に傍点]している巴里《パリー》眼抜きの大通りはたいがい網羅しつくしたようなものだが、これが簡単なようで、いざ実地に足で歩いてみるとなかなかそうでない。まず、リヴォリの「屋根のある歩道」を出はずれてコンコルドへさしかかると、縦横無尽無秩序滅茶苦茶電光石火間一髪と言ったぐあいに、どれもこれも家族の臨床へ急ぐように、眼の色を変え、息を切らした自動車の奔流が前後左右から突進し、驀出《ばくしゅつ》し、急転し、新|巴里《パリー》名所「親不知子不知《おやしらずこしらず》」――もっとも交通巡査だって根気よく捜査すると一人ふたりそこらに居るにはいるんだが、はじめからすっかり降参して、ただ一番安全な安全地帯に立って帳面片手に楽しく鉛筆を舐《な》めてるきりだ。何をしてるのかというと、今かいまかと自動車の衝突するのを待って、事故が起り次第、その状況顛末・操縦者の姓名――なるべく本名――生年月日・欧洲戦争に出陣したりや否や――ついでだが、巴里ではこの、大戦に参加したかしなかったかによって個人の待遇に大変な差別が生ずる。それも、負傷でもしたんだと一そういい。傷が大きければ大きいほど大きな顔が出来るようだ。だから、梯子《はしご》段から墜落して腰でも折ったやつ[#「やつ」に傍点]が杖に縋《すが》って町を歩いていたりすると、あれあヴェルダンの勇士だろう。道理で勇敢な顔をしてるなんかと行人のささやき[#「ささやき」に傍点]と尊敬の眼が集まる。じっさい巴里における癈兵《はいへい》の社会的権力と来たら凄《すさ》まじいもので、地下鉄《メトロ》には特別の席があるし、癈兵が手を出したら煙草でも時計でも衣服でも全財産を即座に提供して、おまけにこっちから「多謝《メルシ・ボクウ》」と言わなくちゃならないし、飾窓《ウインデ》を叩き割って犬を蹴って、ついでに巡査も蹴って、それから大道にぐっすり寝込んでも、つまりいかなる活躍も癈兵なら一向差しつかえないことになっている。癈兵でさえこうだから、これが戦死者となると実に大した勢いで、巴里《パリー》の街を欧洲戦争で死んだ人がふらふら[#「ふらふら」に傍点]散歩でもしてようもんなら――まあ、止《よ》そう。
 どうもわき[#「わき」に傍点]へ外《そ》れて困る。一たい何からこの癈兵問題が勃発したかというと、地下鉄《メトロ》の件でもなし、梯子段でもなし、そうそう、プラス・ドュ・ラ・コンコルドの交通巡査のことだったように覚えているが、そしてその交通巡査は、二台の自動車がぶつかるや否、素早く「現場」へ駈けつけて「詳細の報告」をしたためようと言うんで、手帖と鉛筆を斜《ななめ》に構えて安全第一の場処に直立してるばかりで、何らGO・STOPの実用にはならないから、「歩く馬鹿」の身になってみると一通りや二通りの苦労じゃないという一事を強調したかったまでのことで、私なんか、これくらいなら「馬耳塞《マルセイユ》でいぎりすの石炭船から脱船」しなけりゃ宜《よ》かったと思ったほどだ。が、今になってそんなことを言ったってはじまらない。巡査だって何もぼんやり立ってるんじゃなくて、白塗りの棍棒を振り廻しながら盛んに無辜《むこ》の歩行者を白眼《にら》みつけたり、その余暇に、前を走る自動車にとても忙しそうにやたらに挨拶してる。
 朝なら「|お早う《ボン・ジュウル》」。
 晩なら「|今晩は《ボン・スワ》」と。
 ばかに交通巡査を眼の仇敵《かたき》にしてるようだが、全くこんなふうなんだから、自動車にはいつだって轢《ひ》かれるほうが悪いんで、そしてこのプラス・ドュ・ラ・コンコルドを轢かれずに渡った人はあんまりない。私は中央の島みたいなところを飛びとびに辿ったから轢かれなかった。轢かれちゃったんじゃあこの話が出来ないから――。
 そこで、これからの一本道が名にし負うシャンゼリゼエなんだが、こいつがまた凱旋門まで一|哩《マイル》と四分の一もある、おまけにいや[#「いや」に傍点]に真直ぐだから、気のせいか、なお長い。
 なんて、てくり[#「てくり」に傍点]ながらそんなにのべつ[#「のべつ」に傍点]愚痴を溢《こぼ》すくらいなら、早くタキシにでも乗ったらいいじゃないかと思うだろうが、いくら私が酔狂だってこうして郵便脚夫みたいに歩きたかないけれど、それがそうは往かないと言うわけは、じつは、身をもって歩き廻らない以上、どうにもならない役目を一つ、ゆうべ私は親分のアンリ・アラキから仰せつかっているのである。
 だから今日、こ
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