sこれ》あお前《めえ》、俺んとこの嚊《かかあ》じゃねえか。』
 そう言って笑った時のアンリ・アラキの顔に、私ははっきり[#「はっきり」に傍点]ノウトルダムの妖怪を見た。
 ――と、ここでこの話は済んだのかと思うと大間違いで、君、忘れちゃ困る。君もいま巴里《パリー》へ来てることになっているのだ。で、着く早々「女の見世物」を漁《あさ》りに飛び出すはずだったが、ま、もすこし我慢しておしまいまで聞くとして、さて――いやに星のちかちか[#「ちかちか」に傍点]するPARISの夜、聖《サン》ミシェルの酒場、大入繁盛のLA・TOTOの一卓で、数十年来この巴里の「|不鮮明な隅《オブスキュア・コウナア》」に巣をくっている日本老人アンリ・アラキと、老人のいわゆる「脱走いぎりす船員」たるジョウジ・タニイとは、実はこうして、昨夜《ゆうべ》から今までまだ饒舌《しゃべ》りこんでいたのだ。
 が、不思議なことには、夜どおし一人でしゃべり続けて疲れたせいか、話しているうちにアンリ・アラキは、だんだん当初の親分的な無頼さを失い、それとともに、私の尊崇おく能《あた》わなかった「七つの海の潮の香」も、「大胆沈着・傍若無人の不敵な空気」もどこかへすう[#「すう」に傍点]と消えてしまって、かわりにそこに、「さまよえる老|猶太《ユダヤ》人」らしい淋しい影が一そう拡がり、見るまに彼の全人格と身辺を占領して、この長ばなしを語りおわったとき、「大親分アンリ・アラキ」はただの見すぼらしい日本人の一お爺さんに還元していた。
 眼をしょぼ[#「しょぼ」に傍点]つかせながらべっ[#「べっ」に傍点]と唾をして彼は結んだ。
『――と言ったふうにね、いまお話《はなし》したような商売《しょうべえ》を始めれあ儲かること疑いなしでさあ。それというのが、巴里《パリー》というところはどういうものか昔からそんなふうに思われていて、早《はえ》え話が、巴里にゃあ物凄《ものすげ》え場処があるってんで、英吉利《イギリス》人やめりけん[#「めりけん」に傍点]なんか、汗水流して稼いだ金ではるばるそいつを見にやって来るてえくれえのもんです。だからさ、見たがるものを見せてやるために、ちょいとね、今の話のようなすげえ[#「すげえ」に傍点]ところを拵《こさ》えといて、その物欲しそうな面《つら》の外国の金持ちを集めてしこたま[#「しこたま」に傍点]ふんだくって一晩
前へ 次へ
全34ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング