「ったこの「二十五、六の、どっちかと言えば大柄な素晴らしい美人」なんだから、たといどんなに素晴らしい美人だと力説したところで一こう不思議はないわけで、どうだい、驚いたろう。
名もわかっている。マアセルというのだ。
そしてこのマアセルは、怒涛のように日夜「モナコの岸」へ押し寄せてくる常連の誰かれにとって、すこしでも彼女の内生活への覗見《ピイプ》を持つことは、そのためには即死をも厭《いと》わない聖なる神秘であった。とだけ言っておいて、先へ進む。
ところで、二十五、六の豊満な金髪美人マアセルだが――。
も一度、最初からはじめよう。
誰も居ない真っ暗な部屋だった。しばらくするとがちゃがちゃ[#「がちゃがちゃ」に傍点]と鍵の音がして、戸があいた。廊下の光りが流れ込んだ。それと一しょに人影が這入って来た。人影は女だった。女は、手さぐりに壁のスイッチを捻《ひね》った。ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と明るい電灯の洪水が部屋を占めて、桃色に黒の点々のある壁紙が一時に浮き立った。部屋はマアセルの寝室だった。女はマアセルだった。
マアセルは今日夕方の番《シフト》だったので、いま「モナコの岸」から、近処に貸《か》りてる自分の部屋へ帰って来たところである。
あたふた[#「あたふた」に傍点]と自室へはいってきたマアセルは、うしろの戸をばたんと閉めて鍵をかけると、これで完全に自分ひとりになった安心のため、急に仕事の疲れが出て来たようにすこしぐったり[#「ぐったり」に傍点]となった。そして、第一に靴を取ると、緩慢な動作で部屋を突っ切って、衣裳戸棚の大鏡のまえに立った。天鵞絨《びろうど》に毛皮の附いた外套の下から、肉色の靴下に包まれた脚が長く伸びている。マアセルは鏡へ顔を近づけたり、離したり、曲げてみたり横から見たりした。やがてようよう満足したように手早く帽子を脱《と》って帽子を眺めた。その帽子を大事そうに向うの卓子《テーブル》の上へ置いて、ちょっと栗色の断髪へ手をやると、そのまま崩れるように椅子へかけて「あああ!」と小さな欠伸《あくび》をした。
そうしてじっ[#「じっ」に傍点]と何か考えてる様子だったが、そのうちに独り言のようなことをいいながら、立ち上って外套を脱いだ。それを乱暴に寝台へ投げかけた。それから直ぐに着物《フロック》をぬいだ。ぱちんぱちんとホックの外《はず》れる音がすると、着
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