tそうに眉をひそめて、
『私と私の影と、まあ、二人伴《づ》れですね。』
 と余計な返答に及んだが、私は毫《すこし》もたじろがない。
『この巴里で、影と二人きりとは確かに罪悪の部ですな。が、罪悪は時として非常に甘い。この事実を御存じですか。』
 彼は黙って、何度も私の存在を見上げ見おろした。私はつづける。
『あ、そう言えば夜の巴里《パリー》の甘い罪悪――あなたは、このほうはすっかり[#「すっかり」に傍点]――とこのすっかり[#「すっかり」に傍点]にうん[#「うん」に傍点]と力を入れて、――すっかり探検がお済みでしょうな勿論。』
 と、若い紳士は急に吃《ども》り出した。
『ど、どんなところです、例えば。』
 私も知らないんだから、これにはどうも困ったが、
『それは、あなた自身が御自分の経験によってのみ発見すべき秘密《ミステリイ》です。』
『ふうむ。』彼は苦しそうに唾を飲んで、『――で、君がそこへ案内するというんですか。』
『いや。私じゃない。親分です。私の親分は、あなたさえ勇敢に付いてくれば、決してあなたを失望させるような人でないことを、私はここに保証――。』
『夜の巴里の甘い罪悪――。』
『そうです。どんな驚異があなたを待っていることでしょう!』
 ここで、くだんの若い英吉利《イギリス》紳士の頭に、ちょいとまくった女袴《スカアト》の下からちらと覗いてる巴里の大腿《ふともも》が映画のように flash したに相違ない。
 彼は、誤魔化《ごまか》すように眼《ま》ばたきをして、
『いつ?』
『今夜九時半。』
『どこで落ち合います。』
『橋《ポン》アレキサンドルの袂《たもと》で。』
 彼はうなずいた。私は歩き出す。彼の声が追っかけて来た。
『いくらです、案内料は。』
『九百九十八|法《フラン》。』
『高いですね割りに。』
『あとから考えると、むしろ安いのに驚くでしょう。』
 これで完全に征服された彼は、
『じゃ、今夜。』
 と嬉しそうに手なんか振っていた。ざま[#「ざま」に傍点]あ見やがれ!
 たった一人だが、ここに私もやっと自発による犠牲者を掴まえたわけで、どうやらアンリ親分にも合わせる顔が出来たというものだ。
 あとは、夜になるのを待つばかりだが――面倒臭いからぐうっと時計の針を廻して、無理にももう夜になったことにする。
 で、夜――エッフェル塔にCITROEN広告の電気
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