Bそして、二、三度バウンドしてから落ちたところにじっ[#「じっ」に傍点]として少年を待つ。すると彼は、からかわれたように憤然と勇躍して石のあとを追う。こうしてどこまでも捜し出して蹴ってゆく。ゴルフと同じ興味のように見える。いやこの北ようろっぱのひとりの少年にとって、それは目下路上の一信仰なのだ。なぜなら、一度石が乗馬像《ヘステン》の下の鉄柵内へ逃げこんだときなど、かれは歩道にしゃがんで白い手を伸ばしていろいろに骨を折ったあげく、ようよう石を摘《つま》み出して、非常な満足のうちにまた音高く蹴って行ったくらいだから――小石と一しょに吹き溜りの落葉が茶に銀に散乱する。あまり玄妙に石が光るので、よく見たら、その小石だと思ったのは壜《びん》の王冠栓だった。おつかいに行く途中に相違ない。少年はうちを出た時から一つの心願として道じゅう蹴りけりここまで来たものだろう。
旅は流動するセンチメンタリズムだ。つねにいささかの童心を伴う。
この私の童心に「コペンハアゲンの朝の広場《プラザ》を小石を蹴ってゆく丁抹《デンマーク》の少年」は何という歓迎すべき「時と処」の映像であったろう! じっさいその、青い服に
前へ
次へ
全66ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング