2,1911.
 A・L――ダンジヒ独逸《ドイツ》。
 その他無数。
 橋をわたると鉄の城門だった。上に 1690 と大きく彫ってある。ちょうど守備兵の交替時間で、中庭で軍楽隊の奏楽につれて、奇妙な軍服の兵士たちが木製の機械人形のように直線的に四肢を振って動きまわっていた。それを近処の子供たちや遊覧客がかこんで見物していた。私たちが這入ってゆくと、楽隊も兵卒も一せいに顔をこっちへ向けて、珍しそうにまじまじ[#「まじまじ」に傍点]と見守っていた。
 第二の塀と橋を過ぎると、お城は屋根が綺麗だった。銅板がすっかり緑に変色して、それを日光とともに小雨が濡らしていた。
 門を出て、雨中の山坂道を右手へのぼっていくと、潮鳴りの聞える丘の上へ出た。
 旧式な大砲が幾つもいくつも並んで、草むらに砂利がまじっていた。赤煉瓦で築いて、うえに土を盛って草を生やした土手のようなものがかなり長くつづいている。ハムレットのお父さんの幽霊の出たところは、その土手が砲列へ近く切れている端の、右側の地点である。赤土に雨がしみて、泥にまみれた草の葉が倒れている。風に海の香《にお》いがする。ぱらぱら[#「ぱらぱら」に傍点]と雨滴が大きくなった。じっ[#「じっ」に傍点]と立ち停まっていると、ハムレットの暗い舞台面が眼にうかぶ。私たちはいまその現場にいるのだ。海峡の沖に団々と雲が流れて、あたまのすぐうえで風が唸っている。鳥かと思って見たら、砲台の柱に高く、雨を吸って重い丁抹《デンマアク》の国旗がはた[#「はた」に傍点]めいていた。
 ここでも、木棚の肌は遊子のナイフのあとで一ぱいだ。
 G・H・W――NYC・USA。
 J.S.B ―― Epping, England. June 2,1911.
 A・L――ダンジヒ独逸《ドイツ》。
 その他無数。
 王子ハムレットの墓は、城からすこし離れたマレニストの森のなかにある。大木の根に三角形の石をほうり出したばかりの、いかにも「ハムレットの墓」らしいあやふや[#「あやふや」に傍点]なもので、屋根みたいな三角の両面に、英吉利《イギリス》と丁抹《デンマアク》の帝室紋章がほりつけてあった。ハムレットの墓というより沙翁の記念碑と称すべきだろうが、それにしてもいささか頼朝《よりとも》公十八歳の頭蓋骨の感がないでもない。が、旅行者に批判は必要ない。すなわち低徊顧望よろしく、
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