@喜劇的にまで「カメラの用意は出来ました」こころもち!
なによりもさきに、私は町ぜんたいを受け入れて素描しなければならない――この場合ではコペンハアゲンという対象を。
第一に、ひくい雲の影だ。
それが一枚の炭素紙みたいに古い建物の並列を押しつけて、真夏だというのに、北のうす陽《び》は清水のようにうそ[#「うそ」に傍点]寒い。空の色をうつして、何というこれは暗いみどりの広場であろう。その、煤粉《ばいふん》がつもったように黒い木々が、ときどきレイルを軋《きし》ませて通り過ぎる電車のひびきに葉をそよがせて立っているまん中、物々しい甲冑《かっちゅう》を着たクリスチャン五世の騎馬像――一ばんには単に馬《ヘステン》と呼ばれている――が滑稽なほどの武威をもってこの1928の向側のビルディングの窓を白眼《にら》んで、まわりに雑然と、何らの組織も配置もなく切花の屋台店が出ている。空のいろを映して、まっくろに見えるほど濃い色彩の結塊だ。少年がひとり、過去の幽霊のような王様の銅像の下を小石を蹴って行く。ちいさな靴のさきにいきおいよく弾《はじ》かれた石は、ひえびえとした秋風のなかを銀貨のように光って飛ぶ。そして、二、三度バウンドしてから落ちたところにじっ[#「じっ」に傍点]として少年を待つ。すると彼は、からかわれたように憤然と勇躍して石のあとを追う。こうしてどこまでも捜し出して蹴ってゆく。ゴルフと同じ興味のように見える。いやこの北ようろっぱのひとりの少年にとって、それは目下路上の一信仰なのだ。なぜなら、一度石が乗馬像《ヘステン》の下の鉄柵内へ逃げこんだときなど、かれは歩道にしゃがんで白い手を伸ばしていろいろに骨を折ったあげく、ようよう石を摘《つま》み出して、非常な満足のうちにまた音高く蹴って行ったくらいだから――小石と一しょに吹き溜りの落葉が茶に銀に散乱する。あまり玄妙に石が光るので、よく見たら、その小石だと思ったのは壜《びん》の王冠栓だった。おつかいに行く途中に相違ない。少年はうちを出た時から一つの心願として道じゅう蹴りけりここまで来たものだろう。
旅は流動するセンチメンタリズムだ。つねにいささかの童心を伴う。
この私の童心に「コペンハアゲンの朝の広場《プラザ》を小石を蹴ってゆく丁抹《デンマーク》の少年」は何という歓迎すべき「時と処」の映像であったろう! じっさいその、青い服に
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