踊る地平線
白夜幻想曲
谷譲次

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)一社会《コミュニティ》に

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)色の|半ずぼん《ニッカアス》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)じっ[#「じっ」に傍点]とさせておかない。

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔C'est tout de me^me ?〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−

   秋の静物

 旅は、この散文的な近代にのこされたただひとつの魔法だ。
 ある日、まったく系統のちがった一社会《コミュニティ》に自分じしんを発見する。その異国的な、あまりに異国的な、ときとして all−at−sea の新環境を呼吸するにいそがしいうちに、調べ革のように自働的に周囲がうごいて、またまたほかの不思議な現象と驚異と感激と恍惚が私たちのまえにある。
 たとえばこの朝、鉛いろの日光に整然とかがやいて大きくゆたかにひろがっている「北のアテネ」に、私達はぽっかりと眼をさました。
 北のアテネ――でんまあく・コペンハアゲン。
 そうすると、この一個の地理的概念に対して、私は猟犬のような莫然たる動物本能に駆られるのだ。旅行者はすべて、まるで認識生活をはじめたばかりの嬰児のように、あまりに多くの事物に同時に興味を持ちすぎるかも知れない。
 What is IT ?
 What is THIS ?
 What is THAT ?
 だから、露骨で無害な好奇心と、他愛のない期待とが一刻も私をじっ[#「じっ」に傍点]とさせておかない。さっそく私は、憑《つ》きものでもしたような真空の状態でまず街上に立つ。町をあるく。どこまでも歩く。ついそこの角に何かがあるような気がしてならないからだ。この「ついそこの角に何かがあるような気」こそは、旅のもつ最大の魅力であり、その本質である。そして角をまがると、いつも正確に何かがある。小公園だ。浮浪者が一夜をあかしたベンチが、彼の寝具の古新聞とともに私を待っている。腰を下ろす。
 この時、私の全身は海綿《スポンジ》だ。
 なんという盛大なこの吸収慾! 何たる、by the way,
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