塔O・クロスは、ウェストミンスタアへ這入る手前の、最後の葬列休憩所だった。あの、倫敦の歴史とは切ってもきれないドクタア・ジョンスンは、その時の淋しいチャアリング・クロス村が後日人間の潮《タイド》が浪をなして寄せては返す浜べになるであろうといっている。その予言のとおりに、いまのチャアリング・クロス街は大ろんどんの中心となって、市の劇的生活の主役のひとつを演じているのだが、ABCの詩にあらわれている田舎町《スモウル・タウン》めいた人混みと、音律と、あの色彩、それはその舞台面にふさわしい、狭く暗い、曲りくねったチャアリング・クロスにだけ、いまもそのままに、生きて動いているのだ。
時間と煤煙と霧に黒ずんで、昔のとおりの軽い心臓の群集を両側の歩道に持っている英吉利《イギリス》での羅典区《カルテ・ラタン》――私は、皮肉で、粋で智的なフリイト街の雰囲気とともに、この細い一本道の提供する古めかしい|楽天さ《ケア・フリイ》を愛する。チャアリング・クロス――あまりに多くの不可思議《ミステリイ》を見てきた町。
新々あらびや夜話が鉱脈のように地底を走っている往来である。
何とたくさんの物語の主人公と女主人公がこのまち筋を歩かせられ、またこれからも、どれだけその人道を蹈《ふ》むことだろうか――OH! そして小説のなかの彼らめいめいの用意と目的と感情、それらのすべてを、過去のものも来るべき作家のペンに宿る性格も、書物を読むようにすっかり心得ているのがチャアリング・クロスだ。なぜなら、人はそっくりろまんす[#「ろまんす」に傍点]中の人物となって魅縛《みばく》的なここの敷石に立つ――と言われているほど、それほど、じっさいチャアリング・クロスを昼夜上下に押しかえす通行人は、ロンドンの他のどの町をとおる人ともちがって、いぎりす人らしくない一種ぼへみあんな理解に溶けあっているように思われる。
チャアリング・クロスは古本の港。
トテナム・コウトは家具の山。
この、古本と古本屋のおやじと、おやじの自慢する天候観測能力とごみ[#「ごみ」に傍点]だらけの小さな飾り窓とのチャアリング・クロスをトテナム・コウトの地下鉄《チュウブ》停車場から新オックスフォウド街を越して二、三歩左へ切れたところに、すこしでも注意ぶかい人なら、そこに、一風変った人種の出入によって、しっきりなしに不気味に揺れている一つの戸口《
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