から電報で加入を申込んで、なんらの勝算なしに走らせてみたのだそうだが、それが思いがけなくもこんなことになって、卿もフェルステッドじしんも心《しん》からびっくりしている。そのびっくりしている現場が写真にとられて、次《つ》ぎの日の新聞に出ているのを私が見たんだから確かだ。が、これはまあいいとして、もう一人の利得者は一たい誰か? というと、何をかくそう、印度《インド》の――そして印度にいる――一赤んぼ――唐突にも――であった。では、そもそもどうして印度の赤ん坊が――となると、私は疑う。いくら予言者の産地|印度《インド》の赤んぼにしろ、どうも赤ん坊が自分でえらんで賭けたものではあるまい。これは私が思うんだが、きっと父親が、フェルステッドの勝利を夢にでも見て、赤んぼの名で印度から賭金を電送したのだろう。大金と言わるべき程度のものだったから、それが二十五倍になって返って、こんにちここに集まった大群集――私達とナオミ・グラハム夫人およびブリグス青年をも入れて、は、ただ単に一日こんなに逆上して、その献金により、遠隔の地|印度《インド》に、ひとりの小さな黒い成金を作製したに過ぎない、という結果になってしまった。
金を賭けるには bookie へ行くのだ。何百というこの独立の私営賭馬人が、思い思いのところにずらり[#「ずらり」に傍点]と陣取って、サム・ワウだのアウサウ・フウリガンだのという名乗りの大看板をあげ、酒場の主人らしいのや東部《イースト・エンド》のごろつき[#「ごろつき」に傍点]然たるのが、汗と泡を飛ばしながら、白墨と財布を両手に握って、台の上から我鳴《がな》り立てる。
『エスカ――六対一! |巡礼の鈴《ピルグリムス・ベル》――三対一! バルビゾン! ダグラ! 日本の星! さあ来た! みんな賭けたり張ったり――え? 大至急《メイク・ヘイスト》二世へ半クラウン? 有難う。』
などと客ともやりとりしている。各回競馬の走り出すまえに駈けてって、幾らでもいい、馬の名を言って金を出すと、引きかえに番号のついた札《ふだ》をくれるから、もしその馬が勝てば、札を示して何倍かの金を受取り、負ければ、癇癪を起して札を破いちまえばいい。ぶっきい[#「ぶっきい」に傍点]のそばには必ず高いところに信号係が立っていて、手を振り、肘を叩き、頬をつまみしてお互《たがい》に聯絡を保っている。これを tick−tack といって、その場になって刻々移る一般の人気によって激しく上下する馬金率を報《し》らせあっているのだ。そこでもここでも襯衣《しゃつ》一まいの男が人の海のうえに不可思議な白日のふぁんたしあ[#「ふぁんたしあ」に傍点]を踊っている。これで見るみる値段が変って行き、それもブッキイによって色いろに違うので、すこしでも割のいいブッキイで賭けようとあって、男も女もお婆さんも、お金と鉛筆を握り、血相かえて右往左往している。一番にでも二番へでも賭けられて、その上いろんなふうに組合せがつくんだから、これがじっさいになるとなかなかややこしい。あまつさえ、ロンドンとその近くのすべての町が今日はすっかりからっぽ[#「からっぽ」に傍点]になるほどの人出だ。馬みたいに鼻の穴の大きなグウズベリイ伯爵が、灰色の山高帽に双眼鏡といういでたち[#「いでたち」に傍点]で全家族を引きつれて悠歩していくとあとから、百貨店の売子が、これも灰色の山高帽に双眼鏡といういでたちで――蘇国高地人《スカッチ・ハイランダア》の笛と、その妻のキルト踊り・茶店・道化役・パイナップル売り・れもねえど・早取《はやとり》写真・歌留多《かるた》当てもの・競馬の忠告《チツゴ》売り・その他種々のごった[#「ごった」に傍点]返すなかを往きつ戻りつしている。
『わたしどもの言う馬が勝たなかったら、お金はそっくりかえしますよ――金一|志《シリン》で、この紙にきょうの勝ち馬がすっかり書いてある。へん、安いもんでさあ。』
予報《テップ》売りの口上だ。私も買ってみたが、帳面のきれはしに馬の番号が出鱈目《でたらめ》に――どうもそうとしか思われない――殴《なぐ》り書《がき》してあるだけだ。さすがに自分でも気が咎《とが》めるとみえて、一回ごとに場処をかえては、前回の買手の襲撃を避け、同時に新しい犠牲者をさがしている。
やがて――得てこういう「|大きな日《ビック・デイ》」は時の経つのが早いものだ――大観覧席の顔の壁が赤く染まり馬は汗をひっこめ、人は疲れてだんだん無口になり、そうしてエプソム丘に夕風が立つ。
The Day's end ――。
帰路につかれようとしているジョウジ五世陛下と皇后陛下とが、遠く小さく、おなじく帰路につこうとしている私たちから拝された。四頭立ての白馬と、御通路をあける警官のヘルメットに陽がちかちか[#「ちかちか」に
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