さえつけて、この多角的な怪物の把握で窒息させようとしているくらいだ。
 WHY! ああ・いえす、しつこい歯痛とともに鬱々として焦立《いらだ》たしいものの代表に使われるほど、世界的に有名な London weather ――それが私に作用しつつあるのだ。
 私たちだって、旅行者のもつ俗な善意《グッド・ウイル》と口笛の気軽さで、野花とみどりの斜面と羊のむれのケント州の心臓を走って、「ある日大きな倫敦《ロンドン》へ愛蘭《アイルランド》人がやってきた」ように、黒いヴィクトリア停車場へ着いたものだった。それを老嬢ロンドンは、老嬢に特有の白眼と冬の陽ざしと煤《すす》けた建物の並立とでごく儀式的に迎えてくれた。なんという殷賑《いんしん》な、そして莫大な田舎町《ヒック・バアグ》であろう! これが私の組織を電閃《フラッシ》し去った正直な第一印象だった。見わたすところ、家も人も路も権威ある濃灰色《オクスフォウド》の一いろの歴史的凝結にすぎない。そして above all ――雨。私の部屋の窓硝子に、week in, week out ほそい水の糸をひく五月の雨。GAWD!
 君!
 ぼんやりと椅子に崩れている私は、まぶたのうらに、太陽の接吻にめぐまれた日本の五月の思い出をころがしている。眼をつぶると、ひとりでに日本と日本の日光が浮かび出てくるのだ。五月と言えば、わがにほん[#「にほん」に傍点]国では風もないのにひらひら[#「ひらひら」に傍点]と「サクラ」が散り、桜の梢から Hiroshige の Fuji−Yama がほほえみ、ひるがえる燕《つばめ》と女の袂《たもと》・気の早い麦藁帽とぱらそる――が、現実の私のまえには、窓枠のなかの雨の風景画が二枚、まるで美術館のように並んで壁にひらいているきりだ。
 石と鉄と石炭の巨大な暗黒の底に白いしぶき[#「しぶき」に傍点]をあげて、くろ光りにひかる道路に、驀進《ばくしん》する自動車の灯火がながく流れている。そこには、空気のかわりに蒼然たる水滴が濃く宙を占めて、こうして見ていると、まるで私たちじしんが魚類に化身したような気がする。またしても私のこころに日本の新緑が萌え上ってくる。私は彼女を見た。彼女は煖炉《だんろ》のまえにしゃがんでしきりに石炭の火をくずしている。
 で、私はやはり私の窓へかえる。があっ[#「があっ」に傍点]という音が走ったかと、
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