踊る地平線
踊る地平線
谷譲次
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)この刹那《せつな》の
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)安全|剃刀《かみそり》も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)山※[#「木+査」、第3水準1−85−84]子《さんざし》
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)“〔Ville de Lie`ge〕”
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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SAYONARA
がたん!
――という一つの運命的な衝動を私たちの神経につたえて、午後九時十五分東京駅発下関行急行は、欧亜連絡の国際列車だけに、ちょいと気取った威厳と荘重のうちにその車輪の廻転を開始した。
多くの出発と別離がそうであるように、じつに劇的な瞬間が私たちのうえに落ちる。
まず、車窓のそとに折り重なる人の顔が一つひとつ大きな口に変って、それら無数の巨大な口腔が、おどろくべき集団的訓練のもとにここに一大音響を発した。あああ――あい! というのだ。ばんざああい!
では、大きな声で『さよなら!』
さよなら!
そしてまた『ばんざあい!』
この爆発する音波の怒濤。燃焼する感激。立ちのぼる昂奮と人の顔・顔・顔。そして夜のプラットフォームに漂う光線の屈折――それらの総合による場面的効果は、ながい長い行程をまえに控えている私達の心臓をいささか民族的な感傷に甘えさせずにはおかない。が、そんな機会はなかった。交通機関はつねに無慈悲にまで個人の感情に没交渉である。彼女が贈られた花束を振り、私が、この刹那《せつな》の印象をながく記憶しようと努力しているうちに、汽車はじぶんの任務にだけ忠実に、well ――急行だから早い。さっさと出てしまった。私たちは車室へ帰る。
皿のうえの魚のように、彼女はいつまでも花束とともに黙りこくって動かない。何が彼女の脳髄を侵蝕しているのか、私にはよくわかる。東京と東京の持つすべて、日本と日本のもつすべてから時間的にも地理的にも完全に離れようとするいま、私達は急に白っぽい不安に捉われ出したのだ。それはふたりのすこしも予期しなかった、そして、それだけまた自然すぎる、漠然たる憂鬱だった。
しかし、この「去るに臨みて」の万感こもごもは、ぼうっと赤い東京の夜ぞらとともにすぐ消えて、かわりに私は、そこに世界地図の上を這《は》いまわる二足の靴を想像する。それは、倫敦《ロンドン》チャアリング・クロスの敷石もアルジェリアの砂漠も、シャンゼリゼエの歩道も同じ軽さで叩くだろうしベルゲンの土も附けばアラビヤの砂も浴びるだろう。私達の旅のすがただ。詩人の墓も撫《な》でてみたいし、帝王の裾にも接吻したい。西班牙《スペイン》の駅夫と喧嘩することもあろうし、ルウマニアの巡査に小突かれる日もあろう。モンテ・カアロでは夜どおし張るつもりだ。ムッソリニと握手する。一夕《いっせき》独逸《ドイツ》廃帝と快諾して思い出ばなしを聞く。ナポレオンの死の床も見たいし、ツタカメン王の使用した安全|剃刀《かみそり》もぜひ拝観しよう。それから、それから、ETC・ETC――出来るだけ多くの大それた欲望を持つことが、旅行者にあたえられた権利であり、義務なのだ。
気がついてみると私は、汽車の進行に合わしてこころ一ぱい叫んでいた。
がたん・がたん!
がたん・がたん!
歓呼のこ――えに送られて
歓呼のこ――えに送られて
何とそれが調子よくピストンのひびきに乗ったことよ! ことによると私は早くも無意識のうちに、自然現象のように自由で無頼な放浪者を気取っていたのかも知れない。
寝台へ這い上る。
同時に、さまざまな断片が私のこころへ這いあがる。
ホテルから東京駅へのタキシのなかから一瞥《いちべつ》した最後の東京。雨が降っていた。窓を打ってななめに走る水。丸ビルを撫で上げる自動車の頭灯《ヘットライト》。
「東京――モスコウ」と朱線のはいった黄色い切符を示したとき、ちょっと儀式張って、善きほほえみとともに鋏《はさみ》を入れてくれた改札係の顔。若きかれのうえに祝福あれ!
とにかくこれが当分のお別れであろう日本の春の夜を、汽車はいま狂女のように驀進《ばくしん》している。下関へ、ハルビンへ、莫斯科《モスコウ》へ、伯林《ベルリン》へ、やがてロンドンへ。
朝は、私たち同行二人の巡礼をすっかり国際的な漂泊人のこころもちのなかに発見するであろう。
汽車という汽車のなかで、その夜の九時十五分東京駅発下関行急行――私がそれに何らの必要もなしにほとんど先天的な約束をさえ見出しかけていると、彼女も眠れないとみえて、下の寝台で寝返りを打つのが聞えた。
『どうしたい、まだ降ってるかい?』
『え?』
『雨さ。』
『いいえ。』
『どのへんだろう此処《ここ》――。』
『さあ――静岡あたりでしょう、きっと。』
黒と白だけの風景画
「下関」
むらさき色の闇黒《あんこく》。警戒線。星くず。
無表情な顔をならべて関釜《かんぷ》連絡T丸の船艙へ流れこむ朝鮮人の白衣《びゃくえ》の列。
「釜山」
あさ露に濡れる波止場の板。
赤い円《まる》い禿山。
飴《あめ》と煙草―― e.g. 朝鮮専売局の発売にかかるカイダ・マコウ・ピジョンなど・など・など。
停車場への雑沓。
バナナを頬張りながら口論している色の黒い八字ひげと、金ぶちの色眼鏡。
内地人の薬売り――新植民地情景。
「京城まで」
土塀と白壁。赤土。黒豚。
小川。犬。へんぽんたる洗濯物。
教神――水晶洞所見。
滝頭山《ろうとうざん》神社のお祭り。
勿禁院洞《もっきんいんどう》と読める。
皇恩|浩蕩《こうとう》とも書いてある。
長いきせる[#「きせる」に傍点]と荷馬車。
褐色の連続を点綴《てんてつ》する立看板の林――大学眼薬、福助|足袋《たび》、稲こき親玉号、なになに石鹸、仁丹、自転車ソクリョク号、つちやたび、風邪には新薬ノムトナオル散、ふたたび稲こきおやだま号、ナイス印万年筆、スメル香油、何とか歯みがき、& whatnot。
「京城」
降りて行った亜米利加《アメリカ》の女伝導師と、彼女の靴下のやぶれ。
午後七時四十分。
「安東まで」
低い丘。雑木林。
金泉で雨。
黙々として黒く濡れている貨車。
停車場の棚に金雀枝《えにしだ》がいっぱい咲いていた――三浪津《さんろうしん》の駅。
秋風嶺《しゅうふうれい》でも雨。
見たことのあるような気のする転轍手《てんてつしゅ》の顔。
鉄道官舎のまえに立っていた日本の女。
唐傘《からかさ》。雑草。石炭。枕木。
日の丸。
小学校。
「安東」
税関。鉄橋。驟雨。日光。
「奉天まで」
ゆるいカアキイ色の起伏。
展望車に絵葉書がおいてある。唐獅子の画に註して曰《いわ》く。「現今民国有識階級ニ於《おい》テハ華国ハ眠レル獅子ナリト言ヒナサレ覚醒又ハ警世ノ意アリテ尤《もっと》モ喜バル」と。
なになに聯隊奮戦の地。
連山関《れんざんかん》の郵局。
「赤い夕陽」
ほんとに真赤な、大きな、火事のような入り日だ。
「奉天」
のりかえ。
「長春」
のりかえ。
支那馬車のむれ。
客桟《かくざん》で人を呼ぶ声。深夜。
やすい煙草――大愛国香烟、長寿牌大号、中国出産|中俄煙《ちゅうがえん》公司。
南京豆の皮を吹く砂まじりの風。
水菓子屋の灯《あか》り。
午前十二時十分発。
「哈爾賓《ハルビン》まで」
万国寝台車の一夜。巴里《パリー》に本社のあるワゴンリイのくるまだ。まるで宮殿のよう――と彼女が讃嘆したとおりに、飴いろに金ぴかの装飾が光っている。
中華民国のかたではありませんか、と呼びかけられて、下関で高等係の人からかなり長い質疑応答をやらせられた私達――断っておくが、私はながい外套にへん[#「へん」に傍点]なぐあいに帽子を潰《つぶ》してかぶり、彼女は断髪にしかと花束を抱えていた――も、長春では、旅券をしらべに車室へ来た支那の官憲が、一眼《ひとめ》で日本人と白眼《にら》んだためにそのままに済んだ。――のはいいが、故国の役人には支那人に間違われ、支那人にはすぐに日本人と看破される。やはり、旅だ。
「ハルビン」
灰色にくすぶる新市街の停車場。
殺到する支那の赤帽。手荷物略奪戦。
りゃん・りゃん・りゃん!
まあやあ・ほいほい!
てんが・れんが・れん!
For God's sake, wait ! ――この一種物語的なひびきを持つ都会の名は、私たち日本人にただちに公爵伊藤の死を聯想させる。
で、これが映画なら、さしずめここでカット・バックというところだ。すなわち、画面全体が見るみるぼや[#「ぼや」に傍点]けて、そこに過去の話中話が煙りのように浮かび出る――こんなふうに。
最初スクリンいっぱいに、疾走中の汽車の車輪を大きく見せて、つぎに字幕《タイトル》。
「明治四十二年十月二十六日午前八時、元勲伊藤公の坐乗せる特別列車は、長春より一路|哈爾賓《ハルビン》をさして急ぎつつあった。」
食堂車内の景。
伊藤公が、金の飾りのついた洋杖《ステッキ》をかたわらに、何か書いた紙片を満鉄総裁|中村是公《なかむらぜこう》氏、宮内大臣秘書官森泰二郎氏に示している。漢詩人|森槐南《もりかいなん》が微吟する。
[#ここから2字下げ]
十月二十五日発|奉天赴《ほうてんにおもむく》長春汽車中作
万里平原南満洲《ばんりのへいげんみなみまんしゅう》 風光潤遠一天秋《ふうこうじゅんえんいってんのあき》
当年戦跡留余憤《とうねんのせんせきよふんをとどむ》 更使行人牽暗愁《こうしこうじんあんしゅうをひく》
[#ここで字下げ終わり]
「日露の親和がこの汽車中にはじまり、汽車の前進するがごとくますます進展せんことを望む。」公はこう言って露西亜《ロシア》側の接待役を見まわしながら、しきりにつづける。「|余は露西亜人を愛す《ヤ・リュブリュウ・ルウスキフ》。」
この「日露の親和がうんぬん」のことばは、公の死後、非常な好意をもって露人のあいだに喧伝された有名な言辞だ。
ふたたびタイトル。
「そうして午前九時――。」
と、これから暗殺の場面へ移るのだが、まあ止《よ》そう。
それよりも同車の満鉄のG氏が、私の肘《ひじ》を掴《つか》まえて大声に話している。
『列氏零下五度、こまかい雪が降っていましてね、猛烈に寒い朝でしたよ。ピストルの音ですか。いいえ、日本人の一般出迎者はずっ[#「ずっ」に傍点]と左の端のほうにいたので、何も聞えませんでした。いえ、聞いた人もありましたが、支那人が歓迎の意味で爆竹を打ちあげたのだと思ったそうです。すると伊藤公が撃《や》られたというんでしょう、さあ大変、みんな滅茶苦茶に飛び出して行って、わいわいごった[#「ごった」に傍点]返しです。露助の兵隊なんか大きな刀《やつ》を振り廻してやたらに、ヤポウネツ・ヤポンツァ! って呶鳴《どな》る――。』
『ちょ、ちょっと待って下さい。』私はあわてる。『その、それは何です――ヤポ・ヤポってのは?』
『|日本人が日本人を《ヤポウネツ・ヤポンツァ》! というんですね。で、わあっ[#「わあっ」に傍点]と押し出したのはいいが、線路へ落ちるやら兵隊に蹴《け》られるやら――そのうちにぎゃっ[#「ぎゃっ」に傍点]! というもの凄い声が聞えましたが、それは人混みのなかで露助の兵隊が安重根《あんじゅうこん》を捕まえたときに、先生夢中で頸部《くび》を締めつけたもんだから、安《あん》のやつ苦しがって悲鳴をあげたんです。私も一生懸命でしたよ。爪立《つまだ》ちして伊藤公の担《かつ》がれて行くのを見ていました――。』
汽車を降りた私たちは、二十年前に公の狙撃された現場に立った。その地点は、一・二等待合室食堂
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