ャпEリュビヤンカの大通りを「赤い守備兵」の一隊がゆく。赤旗が濡れて、人の靴は重い。常備六十万、戦時百万と号す。莫斯科《モスコウ》市史のうえに眠る。「年代記にモスコウの名のはじめて見ゆるは一一四七年にして、一一五六年大公爵ウラジミル・ドルゴルキイ、市の外周に堀と木塁《もくるい》をめぐらし――。」
 第四日。
 |朝飯の献立《ザアフトラック》。ズワ・チャイ。アペルシナ。ガリャアチエ・マラコ。ヤイチニツァ・ウェッチイナ。ブウロチキ。マスロ――何だか誰にもわからない。食べたはずの私にも判然しないくらいだから。
 第五日。
 トウェルスカヤ街五九番に革命博物館を見る。社会運動者の奮闘と度々《たびたび》の革命の犠牲を歴史的にみせて、十月革命の成功におわっている。古い刑具と、死体の写真。レイニンの像。呪詛と反感と狂望と歓喜。ゴウルキイの原稿。ゲルツェンの原稿。地下室に監房と蝋人形の囚徒。秘密運動のじっさい。
 この建物は一八一四年に出来たラスモヴスキイ邸宅で、のち英吉利《イギリス》倶楽部になっていたこともある。露西亜《ロシア》革命の博物館だが、ろしあ共産党の歴史博物館でもあり、同時にまたレイニンの
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