sアメリカ》がついてまわるのは疾《と》うに覚悟のまえだが、この美国汽車|福特《フォウド》号にはちとおどろかされる。
支那町|傅家甸《フウジャテン》の新世界で、川鮑魚湯《せんぽうぎょとう》だの葱焼海参《そうしょうかいざん》だのと呼号する偉そうできたない食を喫したのち、私たちは不可解な腕車《わんしゃ》をつらねて、喧騒と臭気と極彩色と殷賑《いんしん》と音響のなかを大通りキタイスカヤ街へ出た。途中、笛と跫音《あしおと》と泣き女のいとも哀しい支那の葬式にあう。失業者の苦力《クーリー》が棺をかつぐあとから家族らしい一行がうなだれて、長い列が休みやすみ泥棒市場のかどを曲っていった。泥棒市場は、その名の示すとおり、善良な市民が金を払ってじぶんの盗まれた品物を買戻す市場だ。もっとも、どうせ盗んだものだから誰が何を買ってもさしつかえない。ひどく徹底した国民的施設である。
キタイスカヤには黒い建物とでこぼこ[#「でこぼこ」に傍点]の歩道と貧しい商店とが、それでもさすがにメイン・ストリイトの格式をもってつづいて、安価な原色を身につけた女たちが花屋のまえにとまり、いろいろな種族がベンチに顔を並べ、横町の郵便
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