諱A結せよ!」
第十一日。
After all ――莫斯科《モスコウ》の心臓は「|赤い広場《クラスナヤ・プロシヤチ》」にあるといえよう。歴史と風雨で色のついた大クレムリンの石垣にそって、通行人と異臭のなかをイベリアンの門をくぐろうとすると、左の壁にマルクスの言葉「宗教は国民の亜片《アヘン》なり」が彫ってある。なるほど亜片だけになかなか捨て得ないとみえて、すぐ前の聖なる処女の御堂には蝋燭《ろうそく》の灯が燃え、おまいりの善男善女ひきも切らない。つい先ごろも復活祭の式の最中に各会堂へ共産党員があばれこみ、口笛に合わしてだんすをはじめ礼拝を妨害した事件があったという。広場に立つと、「恐怖のイワン」がカザン征服の記念に、バルマとポストニクのふたりの建築家に命じて一五五四から六〇年にわたってつくらせた、もざいくのお菓子のような聖《セント》バシルの寺院が南のはしに飾り物みたいに建っている。
そして、その入口にアレキサンダア大王の首斬台が、石も鉄も錆《さび》もそのままに残っているのだ。黒ずんだ円い囲いに苔《こけ》が枯れ、中央の石柱には死刑囚をつないだ鎖がいまだに垂れさがって、段に立って振り返ると、ちょうど頭のうえにクレムリンの時計台、その前面に、大王が出御して死刑見物を享楽したという高楼が、多くを見てきたくせに黙りこくってそびえていた。
五月一日が近い。まわりの公共建物に何本もの赤布が長くさがって、広場には兵士の列が、メイ・デイの予行をしている。ろしあの持つ文化と誇示と壮麗と野望を支えて、ここから人類へ一つの辻説法を話しかけようとしているのがこの赤色広場だ。世界のあらゆる隅々からあこがれてくる「無産聖地」の参詣者が、みな高く頭を持して逍遥している。
私と彼女は、そこから広場を突っ切ってレイニン廟へ這入《はい》る。
小兵営のような、立体的な墓の地下室へおりると、硝子《ガラス》の箱のなかに、死んだレイニンが生きていたときそのままに眼をつぶっていた。コンミュニスト・インタナショナルの旗と一八七一年の巴里《パリー》共産党の戦旗とが西側に飾ってあり、鉄の柵をめぐらした中央の台のうえに、写真で見たとおなじ百姓おやじレイニンがゴッホの自画像のような赤茶けた無精ひげを生やして死んでいるのだ。屍体に特殊の化学作用をほどこして保存してあるのだという。頬や手なぞ水々して、瘠《や》せてはいる
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